ロレンツェッティ(読み)ろれんつぇってぃ(英語表記)Pietro Lorenzetti

デジタル大辞泉 「ロレンツェッティ」の意味・読み・例文・類語

ロレンツェッティ(Lorenzetti)

イタリアシエナ派画家兄弟。兄ピエトロ(Pietro[1280ころ~1348ころ])・弟アンブロージオ(Ambrogio[1285ころ~1348ころ])。兄は劇的な画風、弟はおおらかで人間味豊かな画風を特色とするが、ともに自然主義的な描写遠近法表現を追求

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精選版 日本国語大辞典 「ロレンツェッティ」の意味・読み・例文・類語

ロレンツェッティ

  1. [ 一 ] ( Ambrogio Lorenzetti アンブロージオ━ ) イタリア、シエナ派の画家。ピエトロの弟。ビザンチン風の様式に、ジョバンニ=ピサーノジョットから学んだ心理表現をとり入れ、独特の優美な画風を展開。代表作は、シエナ市公会堂の壁画。(一二八五頃‐一三四八
  2. [ 二 ] ( Pietro Lorenzetti ピエトロ━ ) イタリア、シエナ派の画家。ジョバンニ=ピサーノやジョットの影響を受け、アッシジサン‐フランチェスコ聖堂下院の壁画などに劇的な表現をもつ作品を描いた。(一二八〇頃‐一三四八

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ロレンツェッティ」の意味・わかりやすい解説

ロレンツェッティ(Ambrogio Lorenzetti)
ろれんつぇってぃ
Ambrogio Lorenzetti
(1285ころ―1348)

イタリアの画家。ピエトロの兄弟で、ドゥッチョ、シモーネ・マルティーニとともにシエナ派を代表する画家。ピエトロと同様にドゥッチョか、その周辺の画家のもとで修業したと思われるが、フィレンツェの新しい絵画からも学んだ。彼は14世紀の初めにフィレンツェで仕事をしたシエナ画家の1人で、フィレンツェの組合に登録した記録がある。たとえば、空間の三次元的表現をジョット絵画から習得し、この点では14世紀でもっとも進んだ作品を残している。シモーネ・マルティーニがアビニョンに行ったのち、彼はいわばシエナ共和国の画家といった扱いを受け、1330年代に多くの重要な仕事を市政府から依頼された。そのもっとも重要な遺品は、シエナのパラッツォ・プブリコ(市庁舎)内の「平和の間」に残る壁画である。このうちの「善き政府の効果」、つまり善政下の都市国家のようすを表した作品は、当時の生活を生き生きと伝える傑作としてことに名高い。彼の作品には、ピエトロの場合とは異なり、独特のおおらかさと人間味、そしてしっかりとした現実感がある。彼はシエナ派とフィレンツェ派の成果を融合することに成功した画家だった、といえよう。1348年の黒死病(ペスト)で没した。

[石鍋真澄]


ロレンツェッティ(Pietro Lorenzetti)
ろれんつぇってぃ
Pietro Lorenzetti
(1280/85―1348)

イタリアの画家。シエナに生まれる。当代最高の画家ドゥッチョのもとで画業を学んだと思われるが、1320年まで制作年代のわかる作品がないので、初期の活動についての詳細は不明である。30年代には多くの重要な作品を手がけた。35年に兄弟のアンブロジオとともにシエナのサンタ・マリア・デッラ・スカーラ病院の正面に描いた壁画は、残念ながら現存しないが、シエナの画家たちに大きな影響を与えたと思われる。また、アッシジのサン・フランチェスコ聖堂下院の翼廊部にキリスト伝諸場面の壁画を描き、「聖母子」「キリストの埋葬」「キリストの十字架降下」などの傑作を残した。彼の作風は、初めはドゥッチョの影響が顕著だが、しだいにピサの彫刻家ジョバンニ・ピサーノやフィレンツェのジョット風の劇的な物語の表現を身につけ、シエナ派としては異色の画家に成長した。兄弟のアンブロジオとともに1348年の黒死病(ペスト)の犠牲になったと考えられている。

[石鍋真澄]


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百科事典マイペディア 「ロレンツェッティ」の意味・わかりやすい解説

ロレンツェッティ[兄弟]【ロレンツェッティ】

イタリアの画家兄弟。14世紀前半のシエナ派を代表。兄ピエトロPietro Lorenzetti〔1280か1285-1348ころ〕はドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャの影響を受けた厳格で荘厳な作風をもち,劇的表情の表現を追求。代表作にはアッシジのサン・フランチェスコ修道院下院の壁画《聖母子と聖人たち》(1320年代後半)や《十字架降下》(1320年代)などがある。弟のアンブロージョAmbrogio Lorenzetti〔1290ころ-1348ころ〕はジョットの影響を受け,兄以上に微妙な造形感覚を示し,特にシエナ市庁舎の6面の壁画《善政と悪政寓意》(1338年―1339年)は遠近法をとり入れた空間表現で著名

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ロレンツェッティ」の意味・わかりやすい解説

ロレンツェッティ
Lorenzetti, Ambrogio

[生]?
[没]1348頃
イタリア,シエナ出身の画家。 P.ロレンツェッティの弟。兄とともにシエナ派の祖ドゥッチオに学んだと思われ,また S.マルティーニの影響も認められる。さらに G.ピサーノやジョットの影響をも受けている。兄より才能に恵まれ,それらの諸影響をよく消化して,シエナ派の情緒的な伝統と,さらに優雅な画風を展開した。初期のサンタンジェロ聖堂 (ビコ・ラバーテ) の『玉座の聖母子』 (19) からウフィツィ美術館の『キリストの奉献』 (42) を経てシエナ絵画館の『聖母子』や『聖告』 (44) にいたる一連の祭壇画はそれをよく示している。彼の最も有名な代表作でシエナのパラッツォ・プブリコを飾る『善政と悪政』の比喩的大壁画 (38~40) では,空間構成と写実技法の進展をみせていた。 1348年にシエナを襲ったペストで兄ともども死んだと推定されている。

ロレンツェッティ
Lorenzetti, Pietro

[生]1280頃
[没]1348頃
イタリア,シエナ出身の画家。 A.ロレンツェッティの兄。シエナ派の祖ドゥッチオに学んだと思われるが,G.ピサーノらのゴシック的影響を強く受け,アッシジのサン・フランチェスコ聖堂の壁画『二聖者と聖母子』や『キリスト降架』などで,その激情表現を試みている。弟の影響とみられるウフィツィ美術館の『聖母子』 (1340) などは,同派の優雅な伝統を受継ぐ彼の代表作といえる。弟とともに 1348年にシエナを襲ったペストで死んだと推定されている。

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