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スイス史 スイスし

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

スイス史
スイスし

現在のスイス地方は前 58年ユリウス・カエサルの征服を受け,ローマ帝国の版図に属したが,中世には神聖ローマ帝国の一部を形成した。家領拡大政策をとったハプスブルク家に対抗して,まず 1291年に原初三州永久同盟を結び,独立闘争を開始した。 1315年にモルガルテンの戦いに勝利したのち,同盟は八州同盟に拡大された。次いで 86年ゼンパハの戦い,88年ネーフェルスの戦いに勝ったが,15世紀には,前チューリヒ戦争という内乱を起すことになった。内乱における連邦派の勝利は,連邦組織を強化し国外に進出が開始された。 1474~77年のブルゴーニュ戦争,99年のシュワーベン戦争の勝利により,事実上の独立を達成し,1513年までに 13州同盟に拡大した。 16世紀には宗教改革運動の中心地となり,チューリヒで U.ツウィングリ,ジュネーブで J.カルバンが活躍し,ヨーロッパ全体に大きな影響を与えた。三十年戦争には中立の立場をとり,1647年ウィルの防衛軍事協定によって共同防衛の体制が築かれ,スイス武装中立の出発点となった。 48年のウェストファリアの講和で法律上でも神聖ローマ帝国から分離して完全な独立国となった。 1798年ナポレオン・ボナパルト (ナポレオン1世) は軍事力によりヘルウェティア共和国を樹立させたが,これはスイスにとって初めての単一集権国家であった。そのため混乱が生じ,1803年ナポレオンの調停 (→ナポレオン調停法 ) により再び 19州から成る連邦制が採用された。ナポレオンの敗退はスイスにも復古時代を生じさせたが,15年のウィーン会議で列強によって永世中立が承認された。 30年フランスの七月革命の影響により自由主義が台頭し,「新生」運動が展開されたが,保守派との対立からゾンダーブント戦争という内乱が生じた。 48年憲法が制定され,各州の主権は縮小され連邦の力が強化された。 74年憲法改正が行われ,現在のスイスにおける政治制度の基礎が確立された。 20世紀には2度の世界大戦に武装中立の姿勢を貫き通した。「中立と連帯」を標榜して,現在国際連合には加入していないが,国際赤十字をはじめ多数の国際機関の中心となって活躍し,国際関係に大きな役割を果してきた。しかし冷戦の終結,ヨーロッパ統合の潮流のなかで,伝統的な政策の転換をも迫られている。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

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