コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

スカロン スカロンScarron, Paul

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

スカロン
Scarron, Paul

[生]1610.7.4. 〈洗礼〉パリ
[没]1660.10.7. パリ
フランスの詩人,小説家,劇作家。 30歳頃リウマチにかかり下半身不随になったが,生来陽気な性格だったため,かえって自分の不幸を滑稽化し,ビュルレスク (道化) 文学の一派を創始して新様式の滑稽詩集『戯作ウェルギリウス』 Virgile travesti (1648~53) や喜劇『ジョドレ』 Jodelet (45) などを発表して好評を博した。しかし最高傑作はスペインの悪者小説の影響のもとに書かれた写実小説『ロマン・コミック』 Le Roman comique (51~57) で,18世紀のル・サージュやマリボーの小説の先駆をなしている。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について | 情報

デジタル大辞泉の解説

スカロン(Paul Scarron)

[1610~1660]フランスの詩人・小説家・劇作家。すべてを滑稽化するビュルレスク(道化調)を創出した。小説「滑稽物語」、詩「戯作ウェルギリウス」、戯曲「ジョドレ」など。

出典|小学館デジタル大辞泉について | 情報 凡例

世界大百科事典 第2版の解説

スカロン【Paul Scarron】

1610‐60
フランスの喜劇作家,滑稽詩人。若くして病気のため肢体不随になったが,その才気により〈ビュルレスク〉(滑稽詩)と呼ばれるジャンルの創始者となった。貴顕の男女,友人などにわざと卑俗な語を使ってふざけた詩を贈ったり,古典の名作を俗な語法,誇張し茶化した文章でパロディ化する(《戯作ウェルギリウス》1648)など,一貫してビュルレスクの文体を作り,1650年前後にフランスに大流行するもととなった。特に古典のパロディはあまりの流行にその卑俗性が行きすぎた感も出て,50年代後半には,スカロン自身否定するほどになった。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

大辞林 第三版の解説

スカロン【Paul Scarron】

1610~1660) フランスの劇作家。ビュルレスク(滑稽もの)の代表者で、活写と俗悪さが特徴。詩集「ビュルレスク詩集」、小説「芝居物語」、戯曲「ジョド」など。

出典|三省堂大辞林 第三版について | 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

スカロン
すかろん
Paul Scarron
(1610―1660)

フランスの詩人、劇作家、小説家。パリに生まれ没す。宗門に入り、1633年、司教シャルル・ド・ボーマノワルに仕え、ル・マンに赴く。40年パリに戻るが、すでに悩んでいた結核性リウマチが高じて、身体(からだ)はねじれ、足は萎(な)え、以後椅子(いす)に座ったきりであったが、病苦に屈せぬ彼は『ビュルレスク詩集』(1643)、『ティポン、または神と巨人の戦い』(1644)、『戯作ウェルギリウス』(1648~59)によってすべてを滑稽(こっけい)しさる道化調(ビュルレスク)burlesqueの流行を促す一方、『ジョドレ』(1643)、『平手打ちをくったジョドレ』(1647)、『滑稽な相続人』(1649)などの喜劇を発表した。52年に詩人アグリッパ・ドービニェの孫娘にあたる薄幸の孤児フランソアーズ・ドービニェFranoise d'Aubign〔後のルイ14世の寵妃(ちょうひ)マントノン夫人(1635―1719)Mme de Maintenon〕と結婚、そのサロンは彼の才知と妻の美貌(びぼう)でにぎわった。代表作としては、田舎(いなか)町ル・マンを舞台に展開する旅役者一座と、これを取り巻く町の人々が醸し出す数々の滑稽で陽気な事件を語る現実派小説の傑作『ロマン・コミック』Roman comique(1651~57)がある。[渡邊明正]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例

スカロンの関連キーワードシラノ・ド・ベルジュラックアンチオコス[アスカロン]ゴドフロア・ド・ブイヨンフィロン[ラリッサ]カチュール マンデスロハス・ソリーリャ十字軍史(年表)マントノン夫人アンティオコスÉ. マーニュマザリナードプラトン学派アシュケロンバーレスクゾシモスイドメアマンデス7月4日ソレルウァロ