アメリカのアジア専門ジャーナリスト。カンザス・シティに生まれ,ミズーリ大学卒業後,1928年に世界一周旅行の途上,中国へ足をとめた。J.B.パウエルのもとで《チャイナ・ウィークリー・レビュー》誌の編集を手伝ううちにしだいにアジアに魅了されていく過程は自伝《目覚めへの旅》(1958)にくわしい。上海でニム・ウェールズを知り,32年のクリスマスに東京で結婚した。ヒューマニズムにあふれた青年記者として,日本の中国東北部(満州)への侵略を扱った《極東戦線》(1934)を書いた。36年に封鎖をくぐって外国人として初めて延安地区に入り,毛沢東と会見した。中国の共産党支配地区の実情を生き生きと報道した《中国の赤い星》(1937)は世界的に名声を博し,いち早く中国語に訳されて《西行漫記》の名で中国人自身に解放区の実態を知らせた。日本でも52年に全訳が刊行され,中華人民共和国を理解するうえで大きな役割を演じている。日中戦争が勃発するとレウィ・アレーやウェールズとともに中国の工業合作社を援助したが,41年に帰米し,第2次大戦中は《サタデー・イブニング・ポスト》紙特派員としてソ連,中国,インド,中近東など17ヵ国で取材活動を行い,スターリン,ガンディー,ネルー,イブン・サウードなどと会見している。戦後はマッカーシイズム時代のアメリカで不遇な時期を経験したが,終生,中国の誠実な友としてアメリカ人に中国の真実を伝える努力をおしまず,中国首脳部からも信頼があつかった。戦後は60年,65年,70年に訪中,《中国,もう一つの世界》(1962),《革命,そして革命……》(1971)などを発表している。とくに70年の訪中では,死を予感した毛沢東と最後の会見をした。また周恩来との会談は,ニクソン訪中,米中和解への橋わたしの役を果たすものであったとする見方もある。晩年はスイスに居を移し,その地で没した。
執筆者:春名 徹
イギリスの著述家。元来は物理学の専門教育を受け,第2次大戦中に,科学者の政府行政への動員計画の責任者となり,戦後も科学行政に参画,主としてその功によってナイトの称号を受け(1957),男爵に叙せられた(1964)。イギリスの知識人にしばしばみられるように,理科系の専門領域にとどまらず,若くして小説の執筆にも手を染め,推理的手法を使った処女作《航海中の死》(1932)以降,精力的な活動を展開,大河小説《よそ者と仲間と》は1940年に始まって70年に完結する11巻に及ぶ大作となった。1959年の講演《二つの文化と科学革命》は出版後も大きな反響を呼んだが,イギリスが文科系文化と理科系文化に截然と分かれていて,相互に交流が行われない状況を鋭く批判したもので,科学者,行政官,そして小説家としての自身の生涯はその批判の体現であるという意識に裏づけられていた。もっともこの〈二つの文化〉論は,今からみると,官僚組織に理科系の出身者が少ないことを嘆いているなどの点で,むしろ,自然科学研究の社会的制度化が思うように進まないイギリスの状況に対する焦燥感の結果とも受け取られる。
執筆者:村上 陽一郎
イギリスの麻酔医,疫学者。ロンドンのハンター医学校で学び,1838年ローヤル・カレッジ・オブ・サージャン会員となる。47年《エーテルについて》という小論文を発表し,さらに同年11月のクロロホルム麻酔についてのJ.Y.シンプソンの発表に接すると,自らクロロホルムを試み,その作用量の比較実験を行った。そして,53年4月ビクトリア女王がレオポルド王子を出産する際,召し出されてクロロホルム麻酔を行ったことで一躍有名となり,分娩に際してのクロロホルム麻酔を公認させることとなった。彼はまた《コレラの伝播様式について》(1855)を著し,その中で広範な疫学調査に裏付けられた接触伝染説を主張し,のちに続く微生物病原説の先駆をなした。
執筆者:秋元 寿恵夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
アメリカのジャーナリスト。中国共産党に関する報道と著書で知られる。7月19日、ミズーリ州の農家に生まれ、1925~1926年ミズーリ大学、1927年コロンビア大学に学んだのち、1928年上海(シャンハイ)に立ち寄り、『チャイナ・ウィークリー・レビュー』〔密勒氏(ミラーし)評論〕の編集次長となって、以後十数年にわたって中国報道に専心した。1930年から日本をはじめ東南アジアなど各地を歴訪し、1932年には『極東の戦線』を著したほか、米英の各紙に通信を送った。1934~1935年には燕京(えんきょう)大学講師を務め、1936年宋慶齢(そうけいれい)の紹介で西側記者として初めて中国解放区に入り、1937年『中国の赤い星』Red Star Over Chinaを出版して、中国共産党の実状を世界に報じた。1941年『アジアの戦争』によって日中戦争の実態を報じ、その後『サタデー・イブニング・ポスト』の特派員となって当時のソ連、中国、インドなどを歴訪して『われわれの側の民衆』(1944)、『ソビエト勢力の形態』(1945)を書いた。1946年帰国、1949年、ジャーナリストでもある最初の夫人ニム・ウェールズNym Wales(1907―1997)と離婚。1960年ふたたび中国を訪れ『今日の中国』Red China Today(1961)を著し、その後も中国を訪れて首脳と会見、独自の報道を行った。1972年2月15日スイスで病没した。
[伊藤慎一]
『小野田耕三郎・都留信夫訳『中共雑記』(1964・未来社)』▽『松岡洋子訳『増補決定版 中国の赤い星』(1975・筑摩書房)』▽『松岡洋子訳『今日の中国――もう一つの世界』上下(1976・筑摩書房)』
イギリスの小説家。レスターで生まれ、その地の大学を卒業し、さらにケンブリッジ大学で研究を続けた。専攻は物理学で、博士号を得たのち同大学の特別研究員となった。第二次世界大戦中に科学者を戦争目的のために動員する計画に加わって行政官となり、戦後もその仕事を続けて、1964年には科学技術省政務次官となった。この方面での功績により同年に男爵に叙せられた。1930年代初頭から小説を書き始めたが、初期の3冊の小説のあと『他人と同胞』(1940~70)と題される11巻の小説からなる連作が続く。これが彼の代表作であり、当時国際的にももっとも広く読まれ、また広く論じられたイギリス小説の一つである。現代における科学と文学という「二つの文化」の分裂・対立を論じた『二つの文化と科学革命』(1959)で世界的な論争を巻き起こした。科学と行政の関係を論じた『科学と政治』(1961)、『人間この多様なるもの』(1967)などの著書もある。
[戸田 基]
『松井巻之助訳『二つの文化と科学革命』(1960/新版・1967・みすず書房)』▽『朱牟田夏雄訳『科学と政治』(1962・音羽書房)』▽『植田敏郎・井上日雄訳『人間この多様なるもの』(1970・紀伊國屋書店)』
アメリカのカントリー・アンド・ウェスタン歌手。カナダのノバ・スコシア生まれ。1933年に歌手となり、34年ラジオ初出演、36年からレコーディングを行ったが下積み生活が長く、50年にテネシー州ナッシュビルの名物ラジオ・ショー「グランド・オール・オープリ」に出場、自作『ムービン・オン』を歌ってスターの座についた。鼻にかかった声に特色があり、早口言葉的な歌が得意。ギター奏者としても有名であった。
[青木 啓]
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1905~72
アメリカのジャーナリスト。アジア各地で活躍,特に延安地区へ入った最初の外国人で,その著『中国の赤い星』で著名。のちアジア,ヨーロッパ,ソ連を探訪し,多数の著書がある。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
… 以上のようにはっきりした意味内容をもつ2例の用法とは別に,科学革命なる言葉は現在の急激な科学技術の発展を示す言葉として俗用される。その最もよい例としてC.P.スノーの《二つの文化と科学革命》(1959)がある。この意味での科学革命は,18世紀産業革命が科学によって起こされたものではなかったのに対し,現在は科学が技術に応用され,科学と技術とが融合することによって,社会に革命的な変化をもたらす点をいうのであって,より正確には科学技術革命というべきであろう。…
…ミズーリ州生れ。コロンビア大学卒業後,中国を訪れ,上海でエドガー・スノーを知り,執筆活動をはじめる。1932年スノーと結婚した。…
…正式名称=ルーマニアRomânia∥Romania面積=23万7500km2人口=2265万人(1996)首都=ブカレストBucharest(日本との時差-7時間)主要言語=ルーマニア語(公用語),ハンガリー語,ドイツ語通貨=レウLeu南東ヨーロッパに位置する国。ルーマニアは英語よみで(ただしRumaniaとも綴る),ルーマニア語ではロムニアRomâniaと呼ぶ。東は黒海に面し,北東はモルドバ共和国(旧ソ連),北はウクライナ,北西はハンガリー,南西はセルビア,南はブルガリアに囲まれ,国境の延長は3190km。…
※「スノー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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