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スノー Snow, Charles Percy

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

スノー
Snow, Charles Percy

[生]1905.10.15. レスター
[没]1980.7.1. ロンドン
イギリスの小説家,物理学者。レスター大学,ケンブリッジ大学に学び,長らくケンブリッジで教えた。第2次世界大戦中から政府の科学行政の立案に参加,その頃から創作を始め,『探究』 The Search (1934) を発表,それに続く『見知らぬ人と兄弟たち』 Strangers and Brothers (40) は,全 11巻に及ぶ同名の連作小説 (70完結) の第1作となった。 1950年女流作家パミラ・H・ジョンソンと結婚。 59年に行なったケンブリッジ大学での講演『二つの文化と科学革命』 The Two Cultures and the Scientific Revolutionは精神文化と科学文明との不幸な分裂を指摘し,一部の文学者の科学への無関心を批判して,大きな反響を巻起し,F.R.リービスらとの論争に発展した。

スノー
Snow, Edgar Parks

[生]1905.7.19. ミズーリ,カンザスシティー
[没]1972.2.15. スイス,ニヨン
中国通のアメリカジャーナリスト。ミズーリ大学,コロンビア大学に学んだ。 1928年上海に渡り,29~30年上海の『チャイナ・ウィークリー・レビュー』誌副編集長,34~35年北京燕京大学講師。 34~37年『ニューヨーク・サン』特派員満州事変から日中戦争勃発にかけての報道活動はめざましく,36年外国人として初めて延安地区に入り,毛沢東と会見,中国共産党実態を初めて伝えた『中国の赤い星』 Red Star Over Chinaにより世界的名声を得た。 43~51年『サタデー・イブニング・ポスト』誌副編集長。第2次世界大戦中従軍記者としてインド,中国,ソ連などを訪問した。戦後も 60,65,70年に訪中,毛沢東,周恩来らと会見,中国の実情を伝えた。特に 70年 12月には,毛沢東からニクソン米大統領と会談する用意のある旨を伝えられ,米中接近の役割の一端をになった。著書はほかに『中国,もう一つの世界』 The Other Side of the River: Red China Today (1962) などがある。

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デジタル大辞泉の解説

スノー(Edgar Parks Snow)

[1905~1972]米国のジャーナリスト。中国問題の権威で、外国人記者として初めて中国共産党の本拠地延安に入り、その実態を世界に紹介した。著「中国の赤い星」など。

スノー(snow)

。「パウダースノー」「マリンスノー

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百科事典マイペディアの解説

スノー

英国の小説家物理学者。科学と芸術の関係を考察した論文二つ文化科学革命》(1959年),技術社会の中の知識人を描く全11編の連作小説《他人兄弟》(1940年―1970年)で知られる。

スノー

米国の中国通ジャーナリスト。ミズーリ大学卒業。早くから諸新聞・雑誌の特派員として世界各地を歩いたが,中国滞在が最も長い。満州事変から日中戦争を通じて活躍,特に1936年,延安の中共ソビエト区に外国人として初めて入り,その実態を伝えた《中国の赤い星》で世界的名声を得た。

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世界大百科事典 第2版の解説

スノー【Charles Percy Snow】

1905‐80
イギリス著述家元来物理学の専門教育を受け,第2次大戦中に,科学者の政府行政への動員計画の責任者となり,戦後も科学行政に参画,主としてその功によってナイトの称号を受け(1957),男爵に叙せられた(1964)。イギリスの知識人にしばしばみられるように,理科系の専門領域にとどまらず,若くして小説の執筆にも手を染め,推理的手法を使った処女作《航海中の死》(1932)以降,精力的な活動を展開,大河小説よそ者と仲間と》は1940年に始まって70年に完結する11巻に及ぶ大作となった。

スノー【Edgar Parks Snow】

1905‐72
アメリカのアジア専門ジャーナリスト。カンザス・シティに生まれ,ミズーリ大学卒業後,1928年に世界一周旅行の途上,中国へ足をとめた。J.B.パウエルのもとで《チャイナ・ウィークリー・レビュー》誌の編集を手伝ううちにしだいにアジアに魅了されていく過程は自伝《目覚めへの旅》(1958)にくわしい。上海でニム・ウェールズを知り,32年のクリスマスに東京で結婚した。ヒューマニズムにあふれた青年記者として,日本の中国東北部(満州)への侵略を扱った《極東戦線》(1934)を書いた。

スノー【John Snow】

1813‐58
イギリスの麻酔医,疫学者。ロンドンのハンター医学校で学び,1838年ローヤル・カレッジ・オブ・サージャン会員となる。47年《エーテルについて》という小論文を発表し,さらに同年11月のクロロホルム麻酔についてのJ.Y.シンプソンの発表に接すると,自らクロロホルムを試み,その作用量の比較実験を行った。そして,53年4月ビクトリア女王がレオポルド王子を出産する際,召し出されてクロロホルム麻酔を行ったことで一躍有名となり,分娩に際してのクロロホルム麻酔を公認させることとなった。

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大辞林 第三版の解説

スノー【snow】

雪。

スノー【Snow】

〔Charles Percy S.〕 (1905~1980) イギリスの行政官・著述家。ケンブリッジ大学で物理学を専攻。第二次大戦中、科学者を行政に動員する計画で重要な役割を果たす。講演記録「二つの文化と科学革命」は理系と文系に分裂した文化状況を論じて反響を呼んだ。
〔Edgar Parks S.〕 (1905~1972) アメリカの新聞記者・著述家。中国問題の権威として活躍。著「中国の赤い星」など。

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367日誕生日大事典の解説

スノー

生年月日:1914年5月9日
カナダ生まれのアメリカのウェスタン歌手
1999年没

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世界大百科事典内のスノーの言及

【科学革命】より

… 以上のようにはっきりした意味内容をもつ2例の用法とは別に,科学革命なる言葉は現在の急激な科学技術の発展を示す言葉として俗用される。その最もよい例としてC.P.スノーの《二つの文化と科学革命》(1959)がある。この意味での科学革命は,18世紀産業革命が科学によって起こされたものではなかったのに対し,現在は科学が技術に応用され,科学と技術とが融合することによって,社会に革命的な変化をもたらす点をいうのであって,より正確には科学技術革命というべきであろう。…

【ウェールズ】より

…ミズーリ州生れ。コロンビア大学卒業後,中国を訪れ,上海でエドガー・スノーを知り,執筆活動をはじめる。1932年スノーと結婚した。…

【ルーマニア】より

…正式名称=ルーマニアRomânia∥Romania面積=23万7500km2人口=2265万人(1996)首都=ブカレストBucharest(日本との時差-7時間)主要言語=ルーマニア語(公用語),ハンガリー語,ドイツ語通貨=レウLeu南東ヨーロッパに位置する国。ルーマニアは英語よみで(ただしRumaniaとも綴る),ルーマニア語ではロムニアRomâniaと呼ぶ。東は黒海に面し,北東はモルドバ共和国(旧ソ連),北はウクライナ,北西はハンガリー,南西はセルビア,南はブルガリアに囲まれ,国境の延長は3190km。…

※「スノー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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