スモン(その他表記)SMON

翻訳|SMON

改訂新版 世界大百科事典 「スモン」の意味・わかりやすい解説

スモン
SMON

subacute myelo-optico-neuropathy(亜急性脊髄視神経末梢神経障害)の略。スモンは,下痢止めとして市販されていたキノホルムにより生ずる神経障害で,1972年までに全国で1万1007人の患者をもたらした。本症は1955年ころから日本でぽつぽつと発生し,漸次増加の一途をたどり,原因不明の病気として医学界はもちろん大きな社会問題となった。厚生省のスモン調査研究協議会を中心にあらゆる方面から病因の追究がなされ,70年田村善蔵と吉岡正則は患者の緑尿からキノホルムを検出,それを受けて椿忠雄らは疫学調査を行い,キノホルム病因説を発表した。70年9月厚生省によりキノホルム製剤の販売・使用中止の措置がとられ,その後スモンの新規発生は激減し,現在ではすでにみられなくなっている。

 スモンに必発の症状としては,腹部症状と神経症状がある。前者にはキノホルム服用前からの基礎疾患に基づく症状と,服用後に生ずる激烈な腹痛鼓腸,便秘,下痢などがある。神経症状は日または週の単位で急性または亜急性に発症する感覚障害である。対称性に足底または足指先に初発する異常感覚で,数日の間に鼠径部(そけいぶ)や臍のあたりまで上行するが,遠位部優位である。この異常感覚はきわめて特徴的で,耐えがたいじんじんするような痛み,締めつけられる感覚,ものが足にはりついているような不快感として訴えられる。他覚的には異常感覚とともに表在知覚の低下がみられる。さらに必発ではないが,下肢の深部感覚障害,運動障害(筋力低下,筋萎縮,錐体路徴候),上肢の軽い知覚・運動障害,両側性視力障害,脳症状・精神症状,緑色舌苔・緑尿緑便,膀胱・直腸障害などを伴うこともある。血液,尿の一般検査所見,髄液には著しい変化はない。有効な治療法はなく,経過は遷延し,軽症の場合を除き全治することはまれである。とくに頑固な感覚障害は,後遺症として存続し長く患者を苦しめる。
キノホルム
執筆者:

スモンは,キノホルムによってひき起こされた薬害である。1971年5月,2人のスモン患者が,キノホルム製剤を製造・輸入・販売した製薬会社と,その製造などを承認した国とを被告として,東京地方裁判所に損害賠償請求の訴訟を提起した。これを契機に,全国各地の地方裁判所にも同種の訴訟があいついで提起された。76年9月,東京地方裁判所は,〈全国にまたがる原告数のぼう大さ,また原告一人ひとりについてのその訴額の大きさとむつかしさからいって,まさに空前の規模の事件というべく,通常の司法裁判所がこれだけのスケールの事件を担当した前例は,世界にもないもの〉として,職権による和解の勧告をした。患者の一部は,和解による解決を受諾した。しかし,多くの患者は,被告製薬会社と国の責任を明確にしない和解では,患者の早期全面救済と薬害の防止は期待できないものと考え,判決を求めた。

 78年3月の金沢地方裁判所判決は,日本の薬害裁判では最初の判決となった。ひきつづき,東京・福岡など八つの地方裁判所でも判決が言い渡された。これら九つのスモン訴訟判決は,事実の認定と法理論の展開で差異のあるものもあるが,おおむね,〈キノホルム説はいまや不動の地位を確立した〉(福岡地裁判決)とし,スモンとキノホルムの因果関係を認め,被告製薬会社については,キノホルムによる神経障害の発生の予測が可能であったにもかかわらず,安全性確保の措置を講じなかったばかりでなく,〈かえって夥しい数の適応症を掲げ安全性を強調しつつ,戦後の高度経済成長の波に乗り,大量販売・大量消費の風潮を助長した〉(東京地裁判決)として責任をきびしく問い,さらに国に対しても,医薬品の製造等の承認に際し安全性を確保すべき義務があるのに,これに違反したとして,製薬会社とともに国にも損害賠償責任があるとするものであった。

 79年9月,患者側勝訴の九つの判決を背景にして,〈医薬品副作用被害救済基金法案〉と,薬害防止をおもな目的とする〈薬事法の一部を改正する法律案〉のいわゆる薬事二法が国会で成立した。そして,9月15日未明,患者団体と被告らとの間で,確認書が調印された。確認書は,被告らの責任を明確に規定するとともに,損害賠償一時金のほかに,重症者のすべてに介護手当を,またすべての患者に健康管理手当を支払う旨の恒久補償をもりこんだものとなり,東京地方裁判所の職権和解の水準をこえるものとなった。

 84年4月末現在,スモン訴訟は,32地方裁判所に係属し,原告患者数は6434人に達した。うち,6176人が確認書による和解によって解決をみており,残された問題は,売薬によるなど投薬の証明が著しく困難で,かつ症状が非典型例である患者の救済にしぼられてきている(なお96年12月25日に最後の1名の和解が成立,スモン訴訟は全面に解決をみた)。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「スモン」の意味・わかりやすい解説

スモン
すもん
SMON

亜急性脊髄(せきずい)視神経障害(subacute myelo-optico-neuropathy)の頭文字をとった病名で、まだ原因不明のときに名づけられたもの。現在ではキノホルム剤服用による中毒性神経障害とよぶべきものである。昭和30年代の初めころから、日本で多数の患者が発生した原因不明の神経疾患であったが、1970年(昭和45)キノホルム剤服用により生ずる中毒性神経疾患の疑いが濃くなり、キノホルム剤の販売中止とともに患者の発症がみられなくなった。1972年3月、原因はキノホルム剤服用によるものと結論され、厚生省(現厚生労働省)では特定疾患(難病)の一つとしてその対策が講じられた。近年における薬害の一つとして重大な反省を迫られる疾患であり、新しい患者の発生はなくなったが、後遺症に悩む多数の患者に対する補償と治療、患者の社会復帰が大きな問題となっている。

 一般にキノホルム剤は、胃腸炎、胆道疾患、肝疾患、その他多くの消化器疾患に基づく下痢、腹痛、悪心などにきわめて有効な薬剤であるが、1日の服用量が多いほど、また服用期間が長いほどスモンの発症率は高く、成人以上にみられるが、男性より女性に多く発生している。病理学的には脊髄、末梢(まっしょう)神経、視神経に対称的な亜急性の変性所見がみられ、脊髄では後索と側索の変性が、また末梢神経および視神経では軸索の変化が強く認められている。

 症状は、神経症状に先だって下痢や腹痛などの腹部症状がみられ、引き続いて急性または亜急性に対称性の下半身、ことに末端に強い知覚障害がおこるのが特有で、知覚障害の境界は不鮮明である。知覚障害のうちでも異常知覚が顕著で、締め付けられるとか、じんじんするなどの耐えられない感覚が特有である。同時に下肢の筋力低下、錐体路(すいたいろ)症状(腱(けん)反射亢進(こうしん)、バビンスキー反射陽性)を示すことが多い。そのほか、両側性視力障害、脳症状(意識障害、けいれん、注意力散漫、不眠、不随意運動など)や精神症状、緑色舌、緑色便、膀胱(ぼうこう)・直腸障害などを伴ってくる。発症以後は慢性の経過を示し、末梢部に強い異常知覚が現れる。治療としては特有なものがなく、対症療法としてビタミンB12やB1の大量投与、副腎(ふくじん)皮質ステロイドなどが試みられているがなかなか効果が少なく、リハビリテーション療法も行われているが、効果はきわめて不十分なものである。

[里吉営二郎]

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百科事典マイペディア 「スモン」の意味・わかりやすい解説

スモン(SMON)【スモン】

亜急性脊髄視神経症subacute myelo-optico-neuropathyの頭文字からとった病名。腹部症状を伴う脳脊髄炎症とも。スモン病は俗称。腹痛,腹部膨満(ぼうまん)を伴う脊髄,視束末梢神経の病変で,腹部症状から数日〜数ヵ月後,下肢末端から始まるしびれ,筋の脱力,知覚,特に振動覚障害などを生じ,筋,関節,腱(けん)の痛みを伴う。その約3割に視力障害をみる。寛解と増悪を繰り返すことが多い。脊髄神経の脱髄が認められる。治療は副腎皮質ホルモン剤,ビタミン類,ATP,パントテン酸血管拡張薬などの投与。麻痺(まひ)にはマッサージ,運動療法などが行われる。ある家族内や,一定の地域内に多発することがあり,日本に特有の疾患として1959年ころから問題になった。原因としてウイルス説などがあったが,スモン患者に緑色舌苔(ぜったい)が高率にみられ,そこからキノホルムの結晶が検出されたのが端緒となってキノホルムがスモンの原因とみられるに至った。スモン患者は1967年―1970年に多発したが,1970年9月キノホルム発売禁止後は激減。1971年武田薬品工業,日本チバガイギー,田辺製薬を被告とする初の提訴が東京地裁へなされ,1978年―1979年各原告が勝訴,3社に結果回避義務違反の過失があるとして損害賠償が課せられた。
→関連項目難病薬害薬事法

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家庭医学館 「スモン」の解説

すもんえすえむおーえぬ【スモン(SMON)】

 キノホルムの服用でおこった医原性(治療行為などが原因となる)神経障害です。
 感染性下痢症(かんせんせいげりしょう)の薬であるキノホルム使用後2~3週間のうち(亜急性(あきゅうせい) Subacute)に、脊髄(せきずい)(Myelo)と視神経(ししんけい)(Optico)および末梢神経(まっしょうしんけい)(Neuropathy)がおかされます。
 日本では1969年に発症数がピークに達し1万人を超えましたが、1970年9月にキノホルムが販売停止となってからは、新たな発病者は発生しなくなりました。
 典型的な症状は腹痛、腹部膨満(ふくぶぼうまん)に続いて、下半身のしびれと痛み、冷えがおこり、歩行が困難になります。多くは数か月で回復しますが、後遺症や合併症に長く苦しんでいる人が少なからずいます。
 この病気はシャルコー・マリー・トゥース病とともに、厚労省特定疾患(とくていしっかん)(難病(なんびょう))に指定され、医療費の補助が受けられます。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「スモン」の意味・わかりやすい解説

スモン
SMON; subacute myelo-optico-neuropathy

亜急性脊髄視神経末梢神経病の英語名の頭文字をとって名づけられた。下痢と腹痛の続いたあと,両下肢の先端から左右対称にしびれが上行し,下半身で停止する人が多いが,上半身にも及び,また視神経障害で失明し,さらに死にいたる場合がある。剖検の結果は,脊髄,視神経に病変が認められる。整腸止痢剤として胃腸病に多用されたキノホルムの大量投与が原因となることが明らかとなり,厚生省は 1970年にその販売を停止した。患者数は1万人をこえており,史上最大の薬害といわれている。

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世界大百科事典(旧版)内のスモンの言及

【キノホルム】より

…1日0.3~0.6g内服であったのが,1920年代に一般の下痢にも用途が拡大され,1日1~2g使用されるようになった。 1955年ころから日本でスモン(亜急性脊髄視神経炎)が発生したが,豊倉康夫らは70年にスモン患者の緑舌に緑色毛状苔が生え,便が緑色になることに着目し,同年田村善蔵らはスモン患者の緑舌の緑色物質はキノホルムと鉄の化合物であることを明らかにした。さらに同年,椿忠雄らはキノホルムがスモン発症の原因である可能性が強いことを示した。…

【製造物責任】より

…製造物責任は,アメリカの判例で発展したが,ヨーロッパ共同体(EC)は,1985年に製造物責任指令を理事会が採択して加盟国に指令に従った立法を義務付け,その後ヨーロッパ連合(EU)に加盟する大部分の国はその義務を果たした。日本で,食用油の欠陥による身体傷害をもたらした森永ヒ素ミルク中毒事件カネミ油症事件,医薬品の副作用による健康被害をもたらしたサリドマイド事件やスモン病事件などは製造物責任に該当する事件である。従来は,過失がなければ責任がないという過失責任の原則を定める民法の規定(民法709条)のもとで,解釈により製造者に重い責任を認めるべきだという考え方が学説,裁判例で採用されていたが,1994年にようやく製造物責任法(1995年法律第85号)が公布され,95年7月1日から施行されるに至った。…

※「スモン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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