スーティン

百科事典マイペディア 「スーティン」の意味・わかりやすい解説

スーティン

フランスエコール・ド・パリ画家白ロシアのミンスク近郊生れのユダヤ人リトアニア美術学校で学んだ後,1913年パリの美術学校に入り,シャガールモディリアニらと交わった。対象を極度にデフォルメし,強烈で悲劇的な心象を示す,独特の色彩を用いた表現主義的作風で知られる。1933年以後ほとんど制作せず,不遇のうち病没
→関連項目藤田嗣治

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「スーティン」の意味・わかりやすい解説

スーティン
Soutine, Chaim

[生]1893/1894?. ロシア帝国,ミンスク近郊スミロビッチ
[没]1943.8.9. フランス,パリ
ロシア生まれのフランスの画家。貧しいユダヤ人の 11人兄弟の 10番目に生まれ,1913年パリに移住しコルモン師事,まもなく彫刻家ジャック・リプシツ,画家マルク・シャガール,アメデオ・モジリアニを知る。赤を主調とする強烈な色彩の人物画や静物画は,早くから画商レオポルド・ズブロウスキーらの認めるところであったが,ほとんど作品を発表せず,孤独と貧困,不安と焦燥のうちに病にかかり 50年の生涯を終えた。主要作品『皮を剥がれた牛』(1925頃,オールブライト=ノックス・アート・ギャラリー)など。

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改訂新版 世界大百科事典 「スーティン」の意味・わかりやすい解説

スーティン
Chaïm Soutine
生没年:1894-1943

ユダヤ系のエコール・ド・パリの画家。白ロシア,ミンスク近くのスミロビチに生まれ,14歳から3年間リトアニアの美術学校で修業。1913年パリに出てモディリアニたちと親交があった。18-22年は南仏で制作。ルーブル美術館レンブラントクールベなどに学んだ彼は,激しい筆触と色彩(強い赤,のちには緑青と白)で,静物,人物,風景を描くが,それは自然や人や物との交霊というべき表現主義的な世界を提示している。
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