フィリピン中部,セブ島東岸に位置する都市。人口71万8821(2000)。セブ州の州都で,中・南部フィリピンの政治・経済・文化の中心地である。1521年世界周航の途中に立ち寄ったマゼランの一行により,ここでフィリピン最初の聖餐式と洗礼が行われた。65年スペインのレガスピ一行によって植民地経営の拠点に選ばれ,71年総督府のマニラ移転後も引き続き中・南部支配の根拠地であった。対岸のマクタン島に遮蔽された良港セブ港は1863年に外国貿易に開港され,コプラ,マニラ麻,砂糖などの輸出港,中部フィリピン最大の物資集散地として大いに栄えた。地理的にフィリピン群島の中心に位置することから群島一の交通の要衝でもあり,内航海運はセブ港を,国内航空便はマクタン空港を起点として中・南部フィリピン一帯に多数の航路網をもつ。山が迫っているために市街地の拡張は海岸線に沿って延び,北隣のマンダウエ市とはすでにつながり,マクタン島とは大橋で結ばれ,文字どおりの大都市圏を形成している。
執筆者:梅原 弘光
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フィリピン中部、ビサヤ諸島のセブ島東岸の港湾都市。セブ州の州都。人口71万8821(2000)。長くマニラに次ぐ地位にあった都市で、ビサヤ地方の行政、経済、教育、交通の中心をなし、マニラとの間には頻繁に海空の便がある。セブアノ語を母語とする人口は全国第一で全人口の25%を占める。内海に位置するため降水量は少なく、基盤も石灰岩で水田は少ない。食品、セメントなどの工業が市の内外に多い。橋で結ばれているマクタンMactan島には空港があり、輸出加工区が設けられている。1521年世界周航の途次立ち寄ったマジェランは、住民の紛争に介入を試みてマクタン島で戦死した。また1565年から5年間、スペインによる支配の拠点となった。マジェランの十字架やサン・ペドロ要塞(ようさい)などが残されている。付近にはサンゴ礁が多く、そのいくつかは海岸保養地として開発され、日本人の観光客も多い。
[高橋 彰]
…フィリピンのいわゆる平地キリスト教民の一グループで,ビサヤ族に属し,セブ島,ボホール島,ネグロス島東部,レイテ島西部,ミンダナオ島北海岸部などに住み,セブアーノ語を話す。人口は1026万(1975)で総人口の24.3%を占め,タガログ族と並んでフィリピンで最大の言語グループを形成している。…
※「セブ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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