セミョーノフ(読み)せみょーのふ(その他表記)Николай Николаевич Семёнов/Nikolay Nikolaevich Semyonov

デジタル大辞泉 「セミョーノフ」の意味・読み・例文・類語

セミョーノフ(Nikolay Nikolaevich Semyonov)

[1896~1986]ソ連の物理化学者。気体反応メカニズム研究し、爆発現象における連鎖反応を解明した。1956年、ノーベル化学賞受賞

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「セミョーノフ」の意味・読み・例文・類語

セミョーノフ

  1. [ 一 ] ( Grjegorij Mihajlovič Sjemjonov グレゴリー=ミハイロビチ━ ) ロシアコサック将校。ザバイカル(バイカル湖東岸地域)出身。十月革命後、反革命軍を組織日本支持で一九一八年五月ザバイカル軍事政府を樹立亡命後も反ソ活動を続け、満州事変などに関係した。(一八九〇‐一九四六
  2. [ 二 ] ( Nikolaj Nikolajevič Sjemjonov ニコライ=ニコラエビチ━ ) ソ連の化学者。モスクワ大学教授。気体の爆発反応における連鎖機構の理論を確立。一九五六年ノーベル化学賞受賞。主著「化学動力学と連鎖反応」。(一八九六‐一九八六

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「セミョーノフ」の意味・わかりやすい解説

セミョーノフ(Nikolay Nikolaevich Semyonov)
せみょーのふ
Николай Николаевич Семёнов/Nikolay Nikolaevich Semyonov
(1896―1986)

ロシアの物理化学者。1917年ペトログラード(のちのレニングラード、現、サンクト・ペテルブルグ)大学卒業。1928年レニングラード工科大学教授。1931年よりソ連科学アカデミー(現、ロシア科学アカデミー)化学物理研究所所長、1944年よりモスクワ大学教授を兼任。1932年よりソ連科学アカデミー会員で、1963~1971年アカデミー副総裁。化学物理学の創始者の一人。旧ソ連におけるこの分野の多くの研究者を育てた。1927~1928年、爆発反応で熱爆発のほか連鎖爆発が存在することを提唱し実験的に証明。さらに分枝型と非分枝型の連鎖反応の一般理論をつくった。これらの研究で1956年イギリスのヒンシェルウッドとともにノーベル化学賞を受賞。その後も、多数の連鎖反応、ラジカル反応反応機構を解明した。こうした反応速度論研究で1976年レーニン賞を受賞した。

[梶 雅範]


セミョーノフ(Grigoriy Mihaylovich Semyonov)
せみょーのふ
Григорий Михайлович Семёнов/Grigoriy Mihaylovich Semyonov
(1890―1946)

ロシアのコサック将校。反革命軍指導者。ブリヤーチア出身。第一次世界大戦に参加し、1917年の二月革命後、義勇軍編成のためザバイカル州に派遣され、同年の十月革命後は日本軍の援助のもとで反ソビエト・コサック軍を指揮した。18年夏、ザバイカル州で軍事政権を樹立、のちコルチャーク政権からチタ軍管区総司令官に任命された。20年1月、コルチャーク政権崩壊後はその政権を受け継いだが、日本軍のザバイカル州からの撤兵とともに勢力を失い、21年、日本に亡命。その後、満州(中国東北)で反ソビエト活動を続けたが、45年の日本の敗戦とともにソ連軍に逮捕され、処刑された。

[藤本和貴夫]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「セミョーノフ」の意味・わかりやすい解説

セミョーノフ
Grigorii Mikhailovich Semyonov
生没年:1890-1946

ロシアの反革命派の軍人。ザバイカルのコサックの出身で,一等大尉。ロシア革命直後,〈満州特別部隊〉と称する白衛軍組織を編成してザバイカル州の革命勢力と対決した。その活動に着目した日本の参謀本部は武器と資金を提供し,軍事顧問団を派遣するなど,密接な関係をもった。1918年8月に連合国の本格的なシベリア軍事干渉が開始されると,日本軍の支援のもとにザバイカル州に反革命地方政権を樹立し,州民に対して苛酷な軍事独裁体制をしき,他方コルチャークの反革命軍事独裁政権とも対立した。1920年初頭にコルチャーク政権が崩壊したのちもチタ地方に居すわったが,同年秋に極東共和国人民革命軍に敗北し,そのころまでに日本の支持も失い,その政権は崩壊した。以後,国外に亡命して反ソ活動を続けた。第2次世界大戦の末期に中国東北に進駐したソ連軍によって逮捕され,のち処刑された。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

化学辞典 第2版 「セミョーノフ」の解説

セミョーノフ
セミョーノフ
Semenov(Semenoff), Nikolai Nikolaevich

ロシアの物理化学者.1917年ペトログラード大学卒業.1920年レニングラード物理工学研究所に勤務したのち,1931年ソ連科学アカデミー化学物理研究所所長.1932年ソ連科学アカデミー正会員となり,1944年からモスクワ国立大学教授も兼任し,ソ連科学アカデミー副総裁も務めた(1963~1971年).旧ソ連での化学物理学を創始し,多くの後継者を育てた.爆発反応で熱爆発のほか連鎖爆発が存在することを提唱し,実験的に証明した(1927~1928年).さらに分枝型と非分枝型の連鎖反応の一般理論をつくった.これらの研究で,1956年イギリスのS.C.N. Hinshelwood(ヒンシェルウッド)とともにノーベル化学賞を受賞.その後も,多数の連鎖反応,ラジカル反応の反応機構を解明した.

出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「セミョーノフ」の意味・わかりやすい解説

セミョーノフ
Semënov, Nikolai Nikolaevich

[生]1896.4.15. サラトフ
[没]1986.9.25.
ソ連の化学者。ペトログラード大学卒業後,レニングラード工科大学教授 (1928) ,ソ連科学アカデミー会員 (32) 。 35年モスクワの化学物理学研究所所長に就任。 44年にはモスクワ大学教授を兼任。反応速度論,特に爆発反応での連鎖機構の理論,混合気体での爆発限界の存在の発見などで著名。 1956年 C.ヒンシェルウッドとともにノーベル化学賞を受賞。 63年科学アカデミー副総裁。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「セミョーノフ」の解説

セミョーノフ
Grigorii Mikhailovich Semyonov

1890~1946

ザバイカル出身のロシアのカザーク将校。十月革命直後反革命軍を組織し,日本の支持を受けて1918年5月ザバイカル政府を樹立した。20年10月,革命軍に追われ国外へ逃れた。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

百科事典マイペディア 「セミョーノフ」の意味・わかりやすい解説

セミョーノフ

極東で活動したロシアの軍人。十月革命後反革命軍を組織,日本の支持を得て1918年ザバイカル政府を樹立。1920年革命軍に追われて亡命後も満州で活動したが,第2次大戦後ソ連軍により処刑された。

セミョーノフ

旧ソ連の化学者。1917年レニングラード大学卒。1944年モスクワ大学教授。気相系の化学反応速度論,特に連鎖反応に関する研究で1956年ヒンシェルウッドとともにノーベル化学賞。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「セミョーノフ」の解説

セミョーノフ Semyonov, Grigory Mikhaylovich

1890-1946 ロシアのコサック軍人。
シベリアに出兵した日本軍の支援で,1918年生地東シベリアのザバイカルに反革命政権をたてる。1920年政権崩壊後,満州(中国東北部)に亡命。1945年ソ連軍によって逮捕され翌年処刑された。56歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内のセミョーノフの言及

【ロシア革命】より

…こうして反革命の主役は帝政派の軍人となった。コルチャークは沿海州で日本の支持を受けて勢力を張っていたセミョーノフをも一応指揮下におさめ,全シベリアの支配者としての地位を固めたうえで,19年3月,ウラルから西に向けて総攻撃を開始した。4月にはカザン,サマラに80kmの地点まで進出する。…

※「セミョーノフ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、和歌山県串本町の民間発射場「スペースポート紀伊」から打ち上げる。同社は契約から打ち上げまでの期間で世界最短を目指すとし、将来的には...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android