旧ソ連における農業の経営形態の一つで、советское хозяйство/sovetskoe hozyaystvo(ソビエトの経営)の略称。一般に国営農場と訳される。ロシア革命直後の土地改革で旧地主領地は農民に分割されたが、若干のものは国営とされ、集団農場を組織していくうえでの模範農場とされたのが起源である。個人農中心だったネップ期から、1930年代になるとコルホーズ(協同組合農場)を主とした集団農場化が進められたが、ソフホーズでは10万~20万ヘクタールという超巨大面積のものもみられ「ギガント」とよばれた。スターリン時代を通して、ソフホーズは農業生産力総体でみてコルホーズのほぼ10分の1程度であったが、エム・テー・エス(機械・トラクター・ステーション)に次いで機械装備度はよく、党員比率も高かった。賃金もコルホーズより高かったが、そのことも一因で経営的にはむしろ赤字であった。
フルシチョフ農政の展開(1953~64)でソフホーズの地位は大きく変化する。カザフスタンの処女地開拓などではソフホーズが多く創設されたし、また経営力の弱いコルホーズを国家でてこ入れしつつ統合しソフホーズに転じていく政策が精力的に進められた。コルホーズは社会主義的には低い段階であるというスターリン以来の理論もあり、また実際、公的セクターでの賃金はソフホーズのほうがかなり高く維持されていたので、ソフホーズ化が生産力向上につながるという期待がもたれたのである。こうしたソフホーズ化をブレジネフ農政(1965~82)も引き継いだので、ソフホーズは経営数、労働者数、社会化経営の家畜数などでコルホーズのそれに接近したほか、播種(はしゅ)面積、トラクター、コンバイン数などではコルホーズを上回るようになった。崩壊前、ソ連農業の社会化セクターはソフホーズとコルホーズに二分されていたといえる。しかし、実質上は、財務、価格、人事などいろいろの面で両類型の接近は著しく、全体として「農業の国有化」が進んでいたといえる。
しかし、ソフホーズ化が「弱い遅れた」コルホーズを多く抱え込んだことからも推測されるように、経営的にはソフホーズは赤字が続き財政資金の持ち出しとなっていた。経営を国営化し、賃金水準をあげていっても、生産の集約化、生産性向上が伴っておらず、ソフホーズ化が「粗放化」にさえ連なるということに原因があったとみられる。ソフホーズはコルホーズに比較し、ある農産物への特化の傾向が強いのであるが、そうした専門化の利点が十分発揮できなかったのであろう。ソ連解体後、ほとんどの国でソフホーズは「私有化」「株式化」「協同組合化」の過程に入ったが、大圃場(ほじょう)・大機械化主義で営まれてきた集団農業の技術的性格からも実質的解体は順調に進んだとはいえない。
[中山弘正]
『中山弘正著『ソビエト農業事情』(1981・日本放送出版協会)』▽『荒田洋著『農業』(倉持俊一編『等身大のソ連』所収・1983・有斐閣)』▽『金田辰夫著『ソ連農業の構造問題』(1984・農林水産技術情報協会)』▽『中山弘正・上垣彰・栖原学・辻義昌著『現代ロシア経済論』(2001・岩波書店)』
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ソ連の国営農場。十月革命後の土地改革の過程で,旧地主の大農場につくられた。1928年以後,大規模社会主義農業の実例を農民に示すためにふやされた。ここで働く者は労働者として賃金をもらった。
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