タルトゥ(英語表記)Tartu

デジタル大辞泉 「タルトゥ」の意味・読み・例文・類語

タルトゥ(Tartu)

エストニア中南部の都市。首都タリンに次ぐ同国第2の都市。エマユギ川沿いに位置する。11世紀にキーウキエフ)大公ヤロスラフ1世が城を築き、13世紀にリボニア騎士団支配下に置かれた。その後ハンザ同盟都市として発展。17世紀にスウェーデン王による同国最古の大学が設置され、現在でも学問文化の中心として知られる。ドイツ語名ドルパット。

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改訂新版 世界大百科事典 「タルトゥ」の意味・わかりやすい解説

タルトゥ
Tartu

バルト海沿岸のエストニア共和国南東部に位置する同共和国第2の都市。人口10万1244(2003)の古都で,旧称ドルパートDorpat。中央をエマ川が流れ,石橋がかかっている。市は大火と第2次世界大戦により破壊されたが,市庁舎,バネムイネ劇場,それにパウルセとペートリの教会がある。キーメマエの丘のふもとには由緒あるタルトゥ大学天文台が建ち,他に農業大学と物理,動物,植物の各研究所,および民族博物館と文学博物館がある。タルトゥは1030年,キエフ大公ヤロスラフ築城に始まり,13世紀末にはハンザ同盟に加わった。後にポーランド領となり,17世紀末にはスウェーデンに支配されたが,北方戦争中の1704年ロシアに占領された。タルトゥは首都タリンリガを結ぶ鉄道の中心地で,エストニアの主要な工業都市でもある。機械・金属・化学工業や建築・木材織物皮革・食品工業が営まれている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「タルトゥ」の意味・わかりやすい解説

タルトゥ
Tartu

旧称デルプト Derpt,ドイツ語名ドルパト Dorpat。エストニア東部の都市。5世紀から要塞集落があり,1030年ロシア人が城を建設。 1224年前後にドイツ騎士団の手に落ち,さらにロシア,スウェーデン,ポーランド領を経て 1704年にロシアに併合された。 1632年スウェーデン王グスタフ2世アドルフにより創設された大学は,ロシア進撃を避けて 99年に西のピャルヌに移転,1710年には閉鎖されたが,1802年タルトゥで再開。現在はタルトゥ大学となり,付属の天文台,博物館,植物園,約 300万冊の蔵書のある図書館などで有名。農業機械,皮革,食品,印刷などの工場がある。首都タリンの南東約 170kmにあり,鉄道,ハイウェーの分岐点。人口 11万 4000 (1989推計) 。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「タルトゥ」の意味・わかりやすい解説

タルトゥ
たるとぅ
Тарту/Tartu

エストニア共和国第二の都市。人口10万1246(2000)。エマ川の河岸にあり、チュド(ペイプス)湖の西に位置する。19世紀後半以来、エストニアの経済中心地として発展した。木材、製靴、農業機械、食品などの工業が盛ん。キエフ大公ヤロスラフ1世が1030年に城を建設した古い町であるが、1224年チュートン騎士団が支配し、ついでハンザ同盟都市となった。1775年の大火や第二次世界大戦の被害を受けたが、1632年創立のタルトゥ大学、13世紀の大聖堂の遺跡、市庁舎など歴史的建造物も多い。

[山本 茂]

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百科事典マイペディア 「タルトゥ」の意味・わかりやすい解説

タルトゥ

エストニアの南西部の都市。ドイツ語,スウェーデン語ではドルパートと呼ばれる。町は1030年のキエフ公ヤロスラフによる築城に起源をもち,13世紀から16世紀にかけてはハンザ同盟に加わって栄えた。首都のタリンから隣国ラトビアの首都のリガへの鉄道が通る交通の要地で,同国の主要な工業都市となっている。また1632年創立の由緒あるドルパート大学(現タルトゥ大学)の所在地としても知られている。人口9万7600人(2011)。

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