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チャガタイ・ハン国 チャガタイ・ハンこくChaghatai Khanate

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

チャガタイ・ハン国
チャガタイ・ハンこく
Chaghatai Khanate

中央アジアにあったモンゴル人の国家。チャガタイ・ハン (察合台汗) が,1224年父チンギス・ハンから天山北麓からアムダリアに及ぶ地を所領として得たことから始る。チャガタイの子孫がそのあとをうけたが,モンゴル帝国の宗主権をめぐる争いに巻込まれ,その国土は安定しなかった。 14世紀なかばまでに西トルキスタンと東トルキスタンをそれぞれ領する2国に分裂し,その間,次第にイスラム化,トルコ化が進められた。西トルキスタンではチムール (帖木児) によって新しい国家が建設され,東トルキスタンではチャガタイの子孫が続き,モグリスタン・ハン国,次いでウイグリスタン・ハン国やカシュガル・ハン国となった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

チャガタイ・ハン国
ちゃがたいはんこく / 察合台汗国
Chaghatai Khanate

チンギス・ハンの第2子チャガタイ・ハンを祖とし、中央アジアを支配したモンゴル国家。チャガタイ・ハンはイリ渓谷にオルド(幕営)を構えたが、統治権はもたず、カラコルムのハン中のハンである大ハンの権威下に中央アジアに一定の影響力を行使したにとどまり、彼以後のハン位継承も大ハンの意のままに操られた。しかし、1260年代の大ハン位をめぐる「アリク・ブハの乱」および「ハイドゥの乱」に乗じて、アルグー(在位1260~66)、ついでバラーク(在位1266~71)が中央アジアの支配権を掌握して勢威を築き、ハイドゥによって一時その権力をそがれたが、ハイドゥの没後、バラークの子ドゥワ(在位1282~1307)がオゴタイ家勢力を駆逐して支配権を奪還し、1306年チャガタイ・ハン国を確立せしめた。
 貨幣制度の整備などを通じて中央集権化の実をあげたケベク(在位1318~26)の時代に最盛期を迎えたが、定住化政策をとったタルマシリン(在位1326~34)が遊牧派勢力によって打倒されたのち、同国はパミールを境に東西に分裂した。以後、西ハン国では実権は遊牧貴族層アミールに奪われ、やがてティームール帝国に吸収されたが、東ハン国(モグリスタン・ハン国)では17世紀ごろまでチャガタイの後裔(こうえい)が支配権を維持し続け、やがてイスラム宗教貴族層ホージャにとってかわられた。[加藤和秀]

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