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チャールキヤ朝 チャールキヤちょう Chāḷukya

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

チャールキヤ朝
チャールキヤちょう
Chāḷukya

6世紀からインドデカン地方および南インド地方に勢力を及ぼした王朝。バーターピ (バーダーミ) に都した前期 (あるいは西) チャールキヤ朝 (543~757) ,ベーンギーに都した東チャールキヤ朝 (7~11世紀) ,カルヤーニに都した後期チャールキヤ朝 (975~1189頃) の3つの王統が数えられる。

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世界大百科事典 第2版の解説

チャールキヤちょう【チャールキヤ朝 Chālukya】

インドのデカン地方に覇をとなえた王朝で,いくつかの系統に分かれる。主要な系統はバーダーミBādāmi,カルヤーニKalyāṇi,東チャールキヤの三つで,前2者を併せて西チャールキヤ朝と呼ぶ場合もある。 バーダーミのチャールキヤ朝(前期西チャールキヤ朝)は,プラケーシン1世Pulakeśin Iによって6世紀半ばにバーダーミを都として始められ,8世紀中葉まで存続した。2代,3代の王キールティバルマン1世Kīrtivarman I,マンガレーシャMangaleśaは初代の子で,王朝の版図を拡大したが,王位継承をめぐって内乱が生じると2代王の子プラケーシン2世が610年ころ叔父マンガレーシャを殺して内乱を鎮定し王位に就いた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

チャールキヤ朝
ちゃーるきやちょう
Chalukya

南インドの王朝。都と時代を異にする三つの王統に分かれる。まず、前期西チャールキヤ朝は、6世紀中葉、プラケーシン1世の活躍によって台頭し、カルナータカ州北部のバーダーミを都としてデカン地方を支配した。7世紀前半のプラケーシン2世は、北方ではカナウジのハルシャ王の侵入を打ち破り、南方ではカダンバ朝を屈服させ、南東方はパッラバ朝の地にも侵入した。しかし晩年はパッラバ朝軍に、逆に都を落とされた。続くビクラマーディティヤ1世は王国を再建し、パッラバ朝の地深く侵入した。その後は概して平和が続いたが、8世紀中葉、封臣ラーシュトラクータ家が王位を簒奪(さんだつ)し、王朝の支配はとだえた。それを復活したのは10世紀後半のタイラ2世で、その王統は後期西チャールキヤ朝とよばれる。都は北西方のカリヤーニに移された。一方、南東方タミル地方では、パッラバ朝にかわってチョーラ朝が台頭しており、後期西チャールキヤ朝は南インドの覇権を求めてチョーラ朝と争った。11世紀末から12世紀初頭のビクラマーディティヤ6世の治世には平和が続き、宮廷詩人ビルハナが活躍したが、その後文弱な王が相次ぐ間に封臣が勢力を伸ばし、1190年ごろヤーダバ家とホイサラ家の挟撃を受けて滅亡した。前期西チャールキヤ朝のプラケーシン2世は、東部アーンドラの地を征したのち、その支配を弟ビシュヌバルダナにゆだね、そこにベーンギーを都とする東チャールキヤ朝の支配が開始された。この王統は、長い間続いた婚姻政策の結果、1070年にチョーラ朝と合体するまで継続した。
 バーダーミおよびその付近に残る6~7世紀のヒンドゥー教諸寺院は、ドラビダ様式の最初期の発展を示すものとして美術史上に名高く、後期西チャールキヤ朝期に建立された諸寺院は、ドラビダ様式中、とくにデカン様式として発達した形をよく示している。[辛島 昇]

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世界大百科事典内のチャールキヤ朝の言及

【ヒンドゥー教美術】より

…次いで南インドで6世紀末期から300年間互いに抗争を繰り返したチャールキヤ,パッラバ,パーンディヤの3王朝の治下にヒンドゥー教文化はおおいに高揚した。カルナータカ州北部を中心とするチャールキヤ朝では,バーダーミの石窟(6世紀末期),アイホーレ(6世紀後期~8世紀)とパッタダカル(8世紀前半)との石積寺院が代表的遺構。パッラバ朝では首都カーンチープラムのカイラーサナータ寺をはじめとする石積寺院(7~9世紀),海港マハーバリプラムの岩石寺院,石窟,石積寺院(7世紀前期~8世紀初期)が重要である。…

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