日本大百科全書(ニッポニカ) 「チャールズ(2世)」の意味・わかりやすい解説
チャールズ(2世)
ちゃーるず
Charles Ⅱ
(1630―1685)
スチュアート朝第3代のイギリス王(在位1660~85)。チャールズ1世の子。ピューリタン革命の難を逃れて1645年大陸に逃亡し、父王の処刑後も幾度か革命政府に対し武力抵抗を試みたがいずれも失敗し、困窮した亡命生活を余儀なくされた。しかしクロムウェルの死後の極度の政治的混乱のゆえに、60年議会と交渉のすえブレダ宣言を提示したうえ帰国して、王政復古を実現した。即位後は、亡命時代以来の側近クラレンドン伯を重用して革命の傷跡の修復に努めたものの、議会はピューリタンに対する復讐(ふくしゅう)心に燃え、一連の弾圧立法を通過させた。外交上はオランダと二度にわたり戦争を行い、また1670年にはフランス王ルイ14世とドーバー条約を結んで親仏、親カトリックに傾斜、国内では信仰自由宣言Declaration of Indulgenceを発してカトリック保護策をとったため、議会と衝突し、しだいに反動的な姿勢を強めた。若いころの父の処刑や亡命体験ゆえに融通むげな性格であったといわれ、科学に関心を示し、王立協会を創立して自らパトロンとなる一方で、議会の激しい抵抗を退けてカトリックたる弟ヨーク公ジェームズを次期王位継承者として譲らぬなど、頑強な一面ものぞかせた。ロンドンの大火とペスト大流行、教皇主義者陰謀事件など、彼の治世を通じて社会不安が続き、国王大権を行使してのそのカトリック化政策、議会との確執は、名誉革命の遠因となった。
[大久保桂子]