チューリヒ(読み)ちゅーりひ(英語表記)Zürich

精選版 日本国語大辞典 「チューリヒ」の意味・読み・例文・類語

チューリヒ

(Zürich) スイス北部の都市チューリヒ湖北岸ライン川の支流リマト川の流出口にある。古くからの商業都市で現在も金融貿易交通の一大中心地。一二世紀以来の古建築物や一八三三年創立のチューリヒ大学がある。

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デジタル大辞泉 「チューリヒ」の意味・読み・例文・類語

チューリヒ(Zürich)

《「チューリッヒ」とも》スイス北部の都市。国際的な金融の中心地。人口、行政区35万、都市圏112万(2008)。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「チューリヒ」の意味・わかりやすい解説

チューリヒ
ちゅーりひ
Zürich

スイス最大の都市で、チューリヒ州州都。人口34万0873(2001)、近郊の人口集中地区を含めると94万3400に達する(1999)。チューリヒ湖から流出するリマト川の谷にその中心部がある。市の発展は湖尻(こじり)を囲む一連の堆石(たいせき)(モレーン)の丘陵の配置と関連が深い。すでにローマ時代に、現在の市庁舎に近いリンデンホーフにリマト川をまたぐ橋の防御のために砦(とりで)がつくられたが、このリンデンホーフも堆石の丘である。現在の都市の形態は13世紀に築造された城壁の位置の影響を受けており、かつての堀跡がヒルシェングラーベン、ザイラーグラーベン、バーンホーフ通りなどの街路である。19世紀の前半には、都市発展の障害であったその外側の新しい最後の城壁も取り払われ、その跡はシャンツェングラーベン通りとして残っている。このときからチューリヒは閉じた都市から開けた近代的な都市へと変貌(へんぼう)し、1893年11村、1934年8村の二度にわたる周辺の町村編入により大都市となった。

 この100年間にみられる旧市域内の建造物の変化には著しいものがある。住宅が商店、会社に場所を譲り、都心部の昼間人口は激減した。しかし旧市域には多くの歴史的建造物があり、グロースミュンスター寺院、フラウミュンスター寺院、ザンクト・ペーター教会などのほか、リマト川の岸にはいくつものツンフト(同職ギルド)会館があり、有史前から現代に至る歴史・文化遺産を集めたスイス国立博物館も一見の価値がある。チューリヒはスイスの首都ではないが(首都はベルン)、商工業の中心をなし、国際的にも金融・貿易・観光の中心的役割を果たしている。スイスの大銀行のほか、各国の銀行の支店が集まり、保険会社も多い。また、旧市域には繊維工業が立地し、副都心のエーリコンを中心とする第二の工業地区も形成されている。チューリヒ大学と連邦立理工科大学があり、3万余の学生が学ぶ。

 チューリヒ州はチューリヒとウィンタートゥール両市を中心としたスイスの商工業の中核地域をなし、面積1729平方キロメートル、人口122万8600(2001)。州人口の約28%が州都であるチューリヒに居住する。

[前島郁雄]

歴史

929年に初めてキーウィタース(都市)という呼称が史料上に現れる。11世紀初頭には重要都市としてしばしば帝国議会も開催された。1218年帝国都市となり、市参事会の存在も1220年以降明確となる。1336年ツンフト闘争に勝利して、手工業者、小商人も市政参加が認められた。このツンフト体制を維持するために、1351年にスイス誓約同盟に参加し、またたくまにスイスの指導的地位を獲得した。それはチューリヒが広大な農村地域を支配し、強力な都市国家を形成していたからである。16世紀にはツウィングリによる宗教改革が行われ、スイスと西南ドイツ一帯の宗教的中心地になった。その後、手に技術をもった新教派の避難民(17世紀のユグノーを含む)を多数受け入れ、織物業を中心に経済的に発展した。この経済発展にのった大商人による門閥都市支配は、18世紀末のフランス革命の影響で民主化されるまで続いた。現在も金融業を中心とするスイス経済の中枢都市となっているのは、こうした経済発展の伝統を引くものである。

[森田安一]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「チューリヒ」の意味・わかりやすい解説

チューリヒ
Zürich

スイス北東部,チューリヒ州の州都。スイス最大の都市。チューリヒ湖北西端に位置し,フランス-東ヨーロッパ,ドイツ-イタリアを結ぶ交易ルートの交差点として発達。1351年スイス同盟に加入,1400年に自由都市の権利を獲得。以来多方面の職人,技術者を集めてその勢力を伸張した。1519年スイスにおける宗教改革の発祥地となり,18~19世紀にはドイツ語文化圏の中心地としてゴットフリート・ケラー,ヨハン・ハインリヒ・ペスタロッチなど多くの作家や学者などを生んだ。1833年チューリヒ大学創設,1898年スイス国民博物館開設。スイスの交通,産業,文化の中心として首都ベルンと並ぶ重要都市で,世界的な商業,金融の中心地。またヨーロッパ有数の風光明媚な都市としても著名。チューリヒ旧市内には,ロマネスク様式のグロスミュンスター大聖堂(1090~1180頃および 1225~1300頃),フラウミュンスター聖堂(13~14世紀),ザンクト・ペーター聖堂(13世紀)など,歴史的建造物が多い。大都市圏を形成し,各種精密機器,電子,製鉄,製紙,印刷,織物などの工場が立地。住民はドイツ系で,約 3分の1がプロテスタント。人口 34万7517(2006推計)。

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百科事典マイペディア 「チューリヒ」の意味・わかりやすい解説

チューリヒ

スイス北部,同名州の州都。チューリヒ湖北西岸,標高409mにあるスイス最大の都市。世界の金融市場の中心。機械・繊維・製紙・電機工業が行われる。大学(1833年創立),工科大学(1855年創立),ロマネスク様式の聖堂があり,旧市街には16―18世紀の民家が並ぶ。13世紀に自由市となり,1351年スイス連邦形成の核となった諸州の同盟に加入。1519年来ツウィングリの活躍で宗教改革の一中心。37万7000人(2011)。
→関連項目チューリヒ[湖]

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世界大百科事典 第2版 「チューリヒ」の意味・わかりやすい解説

チューリヒ【Zürich】

スイス連邦を構成するカントン(州),およびその州都名。州都の人口は34万4000(1996)。チューリヒ湖(面積88km2)の湖尻,リマトLimmat川をはさんで発展した町。ローマ時代には,リマト川左岸の氷堆石の小丘リンデンホーフに城塞が作られ,トゥリクムTuricumとよばれ,河川交通の監視所(関税徴収所)となっていたが,都市ではなかった。フランク王国の時代に入って,853年にルートウィヒ2世(ドイツ人王)は娘のためにフラウミュンスターFraumünster修道院をリマト川左岸に建立し,同時にリンデンホーフに新しく王城を建設した。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「チューリヒ」の解説

チューリヒ
Zürich

スイス北東部のチューリヒ湖に面したスイス最大の都市。起源はローマ人の築城にあり,13世紀以後神聖ローマ帝国下の自由都市。1519年ツヴィングリ宗教改革運動はこの地で始まった。

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旺文社世界史事典 三訂版 「チューリヒ」の解説

チューリヒ
Zürich

1523年から,ツヴィングリが宗教改革を展開した,スイス北部の都市
1218年に神聖ローマ帝国の自由都市となり,早くから自治が発達していたことが,ツヴィングリの宗教改革を支えた。

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