ルーマニア出身のフランスの詩人。本名サミュエル・ロザンストックSamuel Rosenstock。モイネシュティに生まれる。早くからフランス象徴派の影響下に詩作を試み、ブクレシュティ高校の同窓生マルセル・ヤンコらとともに雑誌『象徴』を刊行。1914年にトリスタン・ツァラを名のり、第一次世界大戦勃発(ぼっぱつ)後スイスのチューリヒに移る。16年、同地でフーゴー・バル、ハンス・リヒター、アルプ、リヒャルト・ヒュルゼンベックRichard Huelsenbeck(1892―1974)らとともにダダ運動を創始。以来この運動の指揮者として、飽くことなき否定の精神を体現し、国際的にその名を知られる。20年からパリに住み、3年間にわたってパリ・ダダの運動を展開。アンドレ・ブルトン、ルイ・アラゴン、ポール・エリュアールらと共闘するが、やがて離反。シュルレアリスム運動の形成期には孤立する。だが30年代にはこの運動に加わり、数冊の重要な詩集を発表。第二次大戦中は共産党員としてレジスタンス運動に加わるが、56年のハンガリー事件を機に離党した。ダダ時代の『アンチピリン氏の最初の天上の冒険』(1916)や『ダダ宣言1918』Manifeste Dada 1918の著者としてばかりでなく、生涯にわたる清新な詩作、とくに『近似的人間』(1931)、『狼(おおかみ)の水飲み場』(1932)、『反頭脳』(1933)のような詩集の著者として、20世紀フランス文学史上にその名をとどめる資格をもつ。詩論やエッセイにも注目すべきものがある。
[巖谷國士]
『浜田明訳『ツァラ詩集』(1981・思潮社)』
ルーマニア出身のフランスの詩人。本名ローゼンシュトックSamuel Rosenstock。モイネシュティに生まれる。少年期よりフランス象徴派の影響下に詩作をはじめ,第1次世界大戦勃発後,両親とともに移住したスイスのチューリヒで,1916年バル,ヒュルゼンベックらとダダ運動を創始した。以来,徹底した否定の精神を体現しつつ,この運動の中心的存在となり,国際的にその名を知られた。20年にパリに出て,以来3年間,パリ・ダダの運動を展開し,ブルトン,アラゴンらと行動をともにするが,彼らによるシュルレアリスム運動の形成期には離反・孤立し,30年代以後に改めてシュルレアリスム運動に加わった。第2次世界大戦中は共産党員として抵抗運動に参加したが,56年のハンガリー事件を機に離党した。ダダ時代の《アンチピリン氏の天空冒険》(1916),《ダダ宣言1918》ばかりでなく,《近似的人間》(1931),《狼の水を飲むところ》(1932),《反頭脳》(1933)などの詩集によって,20世紀フランス詩の一頂点をかたちづくった。
執筆者:巖谷 國士
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… 第1次大戦中,中立国スイスのチューリヒは亡命者のたまり場であった。1916年2月,逃亡兵の演出家バルと恋人の歌手エミー・ヘニングスは同地で,アルザス生れの画家アルプ,ルーマニアの詩人ツァラや画家ヤンコMarcel Janco(1895‐ )とともに〈キャバレー・ボルテールCabaret Voltaire〉を開催した。ベルリンの医者・詩人ヒュルゼンベックも加わり,小舞台と15~16卓だけのこの店で毎夜宣言,歌,騒音音楽,音声詩,同時詩,仮面舞踏などが演じられた。…
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