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ツベターエワ ツベターエワTsvetaeva, Marina Ivanovna

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ツベターエワ
Tsvetaeva, Marina Ivanovna

[生]1892.10.8. モスクワ
[没]1941.8.31. エラブガ
ロシア,ソ連の女流詩人。詩集『別離』 Razluka (1910) ,『夕べのアルバム』 Vechernii al'bom (11) で象徴主義の系譜に連なる詩人として登場,十月革命に際しては『白鳥の陣営』 Belaya staya (17) を書いて白衛軍を賛美し,1922年に国外に亡命したが,亡命生活にも満たされずに 39年帰国,期待した祖国にも幻滅して自殺した。第2次世界大戦後の「雪どけ」以来,高く再評価されている。

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百科事典マイペディアの解説

ツベターエワ

ロシア(ソ連)の女性詩人。モスクワ大学教授の子としてモスクワに生まれ,パリ大学卒。詩集《夕べのアルバム》(1910年)でデビュー,革命後亡命,1939年に帰国したが間もなく自殺。

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世界大百科事典 第2版の解説

ツベターエワ【Marina Ivanovna Tsvetaeva】

1892‐1941
ロシア・ソ連邦の女流詩人。モスクワ大学の教授で,プーシキン美術館の創設者だったI.V.ツベターエフの娘で,幼年期から詩作をはじめた。女学校を卒業後,ソルボンヌ大学へ留学,フランス古典文学を専攻した。詩集《夕べのアルバム》(1910),《魔法のランプ》(1912)で文壇に登場したが,十月革命に際しては革命に反対する白衛軍の側に立ち,《白鳥の陣営》を発表,1922年に亡命し,はじめプラハで3年ほど暮らしたあと,家族とともにパリに移り,白系亡命者の雑誌に多くの詩を寄稿した。

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大辞林 第三版の解説

ツベターエワ【Marina Ivanovna Tsvetaeva】

1892~1941) ソ連の女性詩人。ロシア革命後に亡命し、のちソ連にもどるが、疎開先で自殺。激しい情熱と孤高の精神で知られるモダニスト詩人であり、その作品は時に非常に難解。詩集「夕べのアルバム」「ロシア以後」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ツベターエワ
つべたーえわ
Марина Ивановна Цветаева Marina Ivanovna Tsvetaeva
(1894―1941)

ロシアの女流詩人。モスクワ大学教授、プーシキン美術館の創設者I・V・ツベターエフの娘で、6歳で詩作を始めたといわれる。女学校卒業後パリ大学に留学。詩集『夕べのアルバム』(1910)で出発、同じく『幻灯』(1912)、『二冊の本より』(1913)で詩人としての地歩を固めた。革命に際しては白軍の側にたち、その悲歌『白鳥の陣営』を発表して1922年に亡命、プラハからパリに移って悲惨な生活を送り、夫や子供たちと39年帰国したが、スターリン体制下で夫と娘が逮捕投獄され夫は獄死、息子も独ソ戦で戦死したあと、縊死(いし)した。スターリニズム下では黙殺されたが、濃縮された詩連、意味の遊び、詩想の豊かさにおいて最高の女流詩人で、パステルナークはその芸術を絶賛した。[工藤正広]

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