テオティワカン文化(読み)テオティワカンぶんか

改訂新版 世界大百科事典 「テオティワカン文化」の意味・わかりやすい解説

テオティワカン文化 (テオティワカンぶんか)

メソアメリカ史上最大の都市テオティワカンTeotihuacanを中心に,前2世紀から6世紀ころまで,各地に大きな影響を与えた文化。前2世紀ころ,メキシコ盆地南部のシトレ火山が噴火し,その溶岩はクイクイルコCuicuilcoの町を覆ってしまった。クイクイルコの破滅はメキシコ盆地の社会の再編成を促し,その結果,現在のメキシコ市の北東50kmにあるテオティワカンの地が選ばれて,計画された大都市の建設が始まったのである。この都市は,太陽と月のピラミッド,そして南北に走る〈死者大通り〉が都市計画の基準となり,基本線の方角は15度25分真北から東へ傾いている。すべての建物はこの基本線に従って建てられ,最盛期には20km2余の面積を建物が覆っていた。どの建物も,傾斜した壁〈タルー〉と,突帯の縁がついた垂直壁〈タブレロ〉の組合せから成る様式で統一され,壁画石彫で装飾された。また都市全体に下水網が完備し,当時の建築家の技術の確かさを示している。テオティワカンの宗教は,トラロックTlaloc神を代表に,火の神ウエウエテオトルHuehueteotl,春の神シペ・トテックXipe Totecなど,のちのメソアメリカの宗教にみる基本的な神々が存在していた。とくにトラロックは単に雨をつかさどるばかりでなく,一神教的性格をもち,テオティワカンの象徴として各地に伝えられた。テオティワカンは,壁画にみられるような灌漑による集約農業を確立し,周辺で得られる黒曜石や塩などをもって拡大を始めた。各地の黒曜石や塩の産地は,次々にテオティワカンによって押さえられていく。2世紀ころにはグアテマラにまで進出し,ほぼメソアメリカ全域の政治的・経済的支配権を獲得したと推定される。しかし,6世紀には衰退兆候がみられ,大都市内外でその秩序は失われていく。やがて,反テオティワカン勢力が結集し(トルテカ文化),結局テオティワカンは破壊されてしまう。この新しい勢力は,旧文化に基礎を置きつつも,新しい秩序をケツァルコアトル神に託し,新時代を創造していく。
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百科事典マイペディア 「テオティワカン文化」の意味・わかりやすい解説

テオティワカン文化【テオティワカンぶんか】

紀元前2世紀から6世紀ころまで,メソアメリカに栄えた文化。メキシコ市の北方50kmにあるテオティワカンを中心に各地に大きな影響を与えた。テオティワカンの建設は前2世紀にはじまり,太陽と月のピラミッドと〈死者の大通り〉を中心にしたこのメソアメリカ史上最大の計画都市は,最盛期には20km2にまで広がった。2世紀ころにはグアテマラにまで進出し,メソアメリカ全体に支配権を拡大,テオティワカンで崇拝されていた雨の神トラロックはその象徴として各地に伝えられた。テオティワカン遺跡は1987年世界文化遺産に登録。→トルテカ文化
→関連項目アメリカ・インディアンエル・タヒンマヤ

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世界大百科事典(旧版)内のテオティワカン文化の言及

【アメリカ・インディアン】より

…前3千年紀に,高原の谷間にトウモロコシ,マメ,カボチャなどの栽培と採集・狩猟を組み合わせた生業が一般化し,前2千年紀には土器や小規模な祭祀建造物をもつにいたり,ベラクルス・タバスコ地方の森林低地では,巨大な石彫や土盛りのマウンドをもつオルメカ文化が発展していった。やがて小規模の灌漑を伴う農業が組織的に行われるようになり,西暦初頭から3世紀の頃,テオティワカン文化や,モンテ・アルバン(サポテカ文化)が成立,少しおくれて,マヤ文化が出現した。政治,宗教,工芸,商業での専門分化が進み,社会は階層区分が明確になり,石造の大神殿や宮殿,石彫,壁画,硬玉細工,金銀細工,美しい土器や織物が作られた。…

※「テオティワカン文化」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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