フランドルの画家。アントワープに生まれブリュッセルに没する。父親に師事し,1633年に親方画家となり,37年にヤン・ブリューゲルの娘と結婚。作品は概して小規模だがその数は多く,題材も農民・市民の風俗,宗教,風景,静物等多岐にわたる。ブリューゲル一族の伝統に連なるとともに,初期には同世代のブラウエルの強い影響を受けたが,表現はより穏やかで塗りもしだいに滑らかさと透明感を増し,やがて画面は独特の銀灰色調を示すようになる。このような特質ゆえに,テニールスは彼が通常ブラウエルに次ぐ代表者と目されている農民風俗画においてよりも,市民風俗画や風景・静物表現のほうでより精彩を放つといえる。47年以後ネーデルラント総督レオポルト・ウィルヘルム大公の注文を受けるようになり,51年には宮廷画家兼収集管理官に任命されて宮廷のあるブリュッセルに移転,ベネチア絵画を中心とした大公の大コレクションの銅版画カタログの下絵とする縮小模写と,ギャラリー内部を記録したキャビネット・ペインティングの制作をおもに手がけた。65年にはアントワープのアカデミーの創立会員となった。なお,同名の父(1582-1649)は長らく忘れられていたが,エルスハイマーの優れた追従者かつ同時期オランダのレンブラント前派の並行現象として,近年注目を集めつつある。テニールス一族はほかにも数人の画家を生んだ。
執筆者:高橋 裕子
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同名のフランドルの画家父子。(1)父(1582―1649) アンベルスの人。エルスハイマーおよびルーベンスの影響を受け、神話的主題のほか風景、風俗を描いたとされるが、彼の作を確証できる現存作品は少ない。(2)子(1610―90) アンベルス生まれ。父およびブロウエルに学ぶ。1632年アンベルスの画家組合に登録。51年レオポルド・ウィルヘルム大公の宮廷画家兼絵画館長としてブリュッセルに定住。作品は風俗画が多く、市場、街頭、室内、居酒屋など市井の生活を諧謔(かいぎゃく)と寓意(ぐうい)を込めて描いた。代表作に『ウィルヘルム大公のブリュッセルの絵画館』(ブリュッセル王立美術館)、『三人の奏楽する農夫』(ミュンヘン、アルテ・ピナコテーク)がある。
[野村太郎]
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…遠近法を強調した16世紀の空想的建築画はネーフスPieter Neefs(1578ころ‐1656か61)らの教会室内画に継承される。また多くの絵画や彫刻,工芸品の並ぶ収集家の収集室を描いた絵画(キャビネット・ペインティング)は17世紀フランドルの特産物で,たとえばブラウエルの影響下に農民画家として出発したD.テニールスも,のちに主君ネーデルラント総督の収集室を描いている。巨匠たちの作品がしばしば外国宮廷の注文で制作されたのみならず,群小画家の作品も重要な輸出品目であった。…
※「テニールス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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