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ディオクレチアヌス Diocletianus, Gaius Aurelius Valerius

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ディオクレチアヌス
Diocletianus, Gaius Aurelius Valerius

[生]245. ダルマチア
[没]316. サロナ
ローマ皇帝 (在位 284~305) 。帝国の行政,財政の再建者,また最後のキリスト教大迫害を行なった皇帝。ダルマチアの貧民から軍人として頭角を現し,ヌメリアヌス帝死後,284年ニコメディア (現イズミット) で軍隊に推戴された。皇帝絶対性を確立するためペルシア風の宮廷儀礼を採用,みずからヨウィウス (ユピテルの代理者) と称した。広大な領土を統治するため四分統治制 (→テトラルキア ) を採用,みずからは東方にあり,僚友マクシミアヌスを西方正帝とし,さらにコンスタンチウス1世ガレリウスを東西の副帝とした。経済面では税制を改革し,最高価格令によって物価騰貴を押え,商人の物資隠匿を罰したが成功せず,また多くの建築事業などにより人民への負担は増加した。対キリスト教政策では治世 20年間を通じ前帝の寛容策を受継いでいたが,303年突如全帝国にキリスト教弾圧の勅令を発した。元来彼はローマ伝統の神々への信仰の念厚く,帝国再建の理念をローマ宗教においていたと思われる。第1勅令では教会破壊,聖書の焼却が命じられたが,続く第2,3の勅令では聖職者の逮捕,ローマの神々への祭儀が命じられ,パレスチナ,エジプトで多くの殉教者を出した。彼の退位後も東方で迫害は続いたが,結局コンスタンチヌス1世 (大帝) の登極により失敗に終った。 305年マクシミアヌスとともに退位,ダルマチアのサロナに隠棲した。彼は元老院には敵対したがローマの伝統は重視し,いわゆるドミナツス体制の端緒を開いた。

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デジタル大辞泉の解説

ディオクレチアヌス(Gaius Aurelius Valerius Diocletianus)

[245ころ~313]ローマ皇帝。在位284~305。ローマ帝国を東西に分け、二人の正帝と二人の副帝により治める四分統治制を始め、マクシミアヌスを西の正帝に、自らは東の正帝となった。キリスト教迫害による帝国支配体制の再編、皇帝権力の強化などの治績を収めた。

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