ドイツの詩人。経済学,哲学を学んだのち,1880年代半ばから自然主義の仲間と交わり,文学活動を始める。道徳的抑圧から性感情を解放し,それを宇宙的な愛の世界に広げようという意志が彼の詩作の根底にある。《解脱》(1891),《やはり愛は》(1893),《女と世界》(1896)の各詩集は,当時のユーゲントシュティール的芸術感覚と軌を一にし,世紀転換期には若い層に圧倒的な人気をもつ詩人であった。かつてゲオルゲに思慕されていた女性イーダとの劇的な結婚を素材とした,〈詩によるロマン〉と銘打つ《ふたりの人間》(1903)は彼の代表作といえる。ニーチェの思想に引かれる一方,社会問題にも強い関心をもち,貧富の懸隔に義憤を表明したり,文学者の生活保障の面でも尽力したが,第1次大戦勃発とともに戦争賛美の立場をとり,従軍を志願した。死後,名声は急速に衰える。日本には明治末期に紹介され,斎藤茂吉をはじめ大正期の詩人たちに影響を与えた。
執筆者:神品 芳夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ドイツの詩人。ベンディシュ・ヘルムスドルフに山林監視人を父として生まれる。ベルリンとライプツィヒで大学生活を送ったのち、ベルリンの保険会社に勤務したが、1895年には文筆に専念する生活に入り、1901年からはハンブルク郊外ブランケネーゼに移り、亡くなるまでこの地に住んだ。
1891年に最初の詩集『救済』を刊行、これを機縁として、リーリエンクローンとの交友が成立した。デーメルの仕事は、社会的要素の強い自然主義的傾向と、個性の自我体験をニーチェ的に表現することとともに始まったが、より強く彼の文学を特徴づけるものとなったのは、エロスの力を賛美し、それを精神的あるいは宇宙的、さらには宗教的な事象として歌う傾向である。代表作としては詩集『女と世界』(1896)および詩的形式をとった小説『ふたりの人間』(1903)があげられるが、後者は、デーメルの二度目の妻となったイーダとの恋愛体験に基づくもの。第一次世界大戦には、50歳という年齢ながら、熱情的な志願兵として戦場に赴いたが、やがて幻滅に終わるこの戦争体験は『民族と人類のあいだ』(1919)に記録されている。
[田口義弘]
『井上正蔵他訳『けれども愛は(抄)他』(『世界名詩集大成7』所収・1958・平凡社)』
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