コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

ニネベ ニネベNineveh

翻訳|Nineveh

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ニネベ
Nineveh

アッシリア最古の古代都市。チグリス川東岸に位置する。現イラクのクユンジク。前7千年紀以前にすでに新石器時代人の小集落があり,前3千年紀のアッカド朝のサルゴン王時代にはエ・マシュマシュの神殿が建立された。前2千年紀にはアッシリアの諸王が建築を競い,新アッシリア帝国時代にも多くの神殿や宮殿が建造された。前 700年頃センナケリブ王治下で最盛期を迎え,市域は 700haに及んだ。それ以後諸王の居住地となったが,アッシュールバニパル (在位前 669~630) の死後,バビロニア,スキタイ,メディアの連合軍の攻撃を受け,前 612年町は略奪を受け,徹底的に破壊された。以後急速に衰え,重要性を失った。 13世紀セルジューク朝の下でわずかに力を回復し,16世紀まで住民の定住がみられた。 (→ニネベ遺跡 )  

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について | 情報

デジタル大辞泉の解説

ニネベ(Nineveh)

古代アッシリアの都市。現在のイラクの北部、チグリス川を挟んでモスル市の対岸に位置する。前8~7世紀ごろ首都となり栄えたが、前612年、メディア・バビロニア連合軍に破壊された。19世紀以来発掘され、宮殿跡や粘土板などが発見されている。古名ニヌア。

出典|小学館デジタル大辞泉について | 情報 凡例

百科事典マイペディアの解説

ニネベ

古代アッシリアの首都。古名ニヌア。ティグリス川左岸にあって前12世紀ごろから繁栄したが,前7世紀アッシュールバニパルの治下に,2重城壁に囲まれた巨大都市となり,各国の朝貢と賦役による大宮殿は彫刻と壁画に飾られ,大神殿や図書館がそびえ立った。
→関連項目図書館モースル

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト百科事典マイペディアについて | 情報

世界大百科事典 第2版の解説

ニネベ【Nineveh】

イラク北部,モースルからティグリス川を渡って約500mにあるアッシリアの首都。センナヘリブ王が前700年ころから建設してのち,前612年の滅亡まで存続した。旧約聖書によると,ヨナがヤハウェのことばを伝えるためにニネベに赴いたとき,12万以上の人が住んでおり,行きめぐるのに3日を要するほどの大きな町であったという。王城跡はクユンジュクQuyunjuqと呼ばれている。フランス領事ボッタP.E.Bottaが1842年に発掘を始め,イギリスのA.H.レヤードが加わって,ここがニネベの廃墟とわかると,イギリス,フランスの凄まじい発掘競争が展開された。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

大辞林 第三版の解説

ニネベ【Nineveh】

古代アッシリア帝国の首都。イラク北部、チグリス川上流の東岸、モスルの対岸にあり、一九世紀中頃から遺跡が発掘されている。

出典|三省堂大辞林 第三版について | 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ニネベ
にねべ
Nineveh

イラク北部、モスルのティグリス川を挟んだ対岸に位置する都市遺跡。古名はニヌア。聖書にその名を残すことから古来多くの旅行者がここを訪れているが、考古学的な調査は19世紀、イギリス、フランス両国間の「発掘競争」に始まる。このとき、イギリスのH・レヤードらは美麗な浮彫りで飾られたセンナケリブ(在位前705~前681)とアッシュール・バニパル(在位前668~前627?)の宮殿とともに、「大洪水伝説」を含む数多くの粘土板文書を発見した。当時の発掘は宝探し的性格の強いものであったが、出土した粘土板文書の研究と相まってアッシリア学の確立を促した点は重要である。層位学的方法などを取り入れた本格的な発掘調査は20世紀に入ってからで、イギリスのR・キャンベル・トンプソンらにより行われた。このときには、イシュタル神殿、ナブ神殿、アッシュール・ナシルパル2世(在位前884~前859)の宮殿などのアッシリア時代の遺構のみならず、紀元前六千年紀後半のサマッラー期にまでさかのぼる先史文化層も確認され、きわめて古い時期からの状況が明らかになるとともにニネベ式土器の標式遺跡としても位置づけられた。クユンジク、ネビ・ユヌスの二つのテルからなり、周囲約13キロメートルの強固な城壁に囲まれている。センナケリブによって再建されて以来、前612年メディアと新バビロニアの連合軍の攻撃により陥落するまでの間アッシリアの都として栄えた。[山崎やよい]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例

世界大百科事典内のニネベの言及

【アッシリア】より

…前3千年紀の前サルゴン期には,膠着語を話す,均質的とはいえないがフルリ人と親縁関係にある定着原住民スバル人の上に東セム系遊牧民が支配的要素として加わり,今やメソポタミアの発展の先頭に立つシュメール文化の影響の下に,都市アッシュールが建設された。アッカド王国時代にはサルゴン王らによって征服され,マニシュトゥシュ王がニネベに神殿を造営している。アッカド美術の傑作である,サルゴン王を写したとされるブロンズ製頭部像もニネベ出土である。…

【アッシリア美術】より

…大きな建物の出入口には人面獣身の石像が置かれ,宮殿の中庭にはサルゴンと従者朝貢者の列を表す巨大な浮彫が飾られた。サルゴンの後継者たちは主としてニネベに宮殿を営んだが,なかでもアッシュールバニパル(在位,前668‐前627)は宮殿にさまざまな題材を扱った多くの浮彫を残した。王の遠征のようすを扱った浮彫としては,《ウライ河畔の戦》が知られる。…

【センナヘリブ】より

メロダクバラダン2世の追放に始まった対バビロニア戦役は,バビロニア王となった王の息子がエラムに連れ去られたことから起こった第6回の戦役で頂点に達し,憤激した王はバビロンおよびその主神マルドゥクに対する伝統的穏和策を大きく逸脱して徹底的な破壊・略奪を行い,アラフトゥ運河の水を引いて廃墟の町にあふれさせ,中心部には8年間人が住めないありさまであった。 首都としては,王は即位直後にドゥル・シャッルキンを放棄,古都アッシュールに住んだが,やがてニネベを首都とし(前701),都市計画を行ってこの都を拡大・整備し,豪壮・華麗な大宮殿を造営したので,ニネベは帝国滅亡の日まで首都となった。王はまた新しい青銅鋳造法の発明を誇り,土木事業では,ニネベ周辺の耕地に灌漑用水を引くために大ザブ川の支流から80kmの水道を設置したりした。…

【図書館】より

… 以下,図書館の歴史を外国と日本に大別して概観し,あわせて日本の現況にもふれることにしたい。
【外国】

[古代]
 19世紀の半ばになって,アッシリアのニネベの王宮跡が発掘され,楔形文字が記された大量の粘土板文書が出土した。いわゆるアッシュールバニパル王(在位,前668‐前627)の図書館である。…

※「ニネベ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

ニネベの関連キーワードアッシュール・ウバルリト2世ニナ(メソポタミア神話)イシュタルの冥界下降シャムシ=アダド5世ギルガメシュ叙事詩バビロン第1王朝ヘラクレイオスアッシリア美術ナボポラッサルメディア王国イラク博物館エサルハドンキャクサレスキュロス1世コルサバードニーナワー県モスリン織りタルボットレイヤードラファエル

今日のキーワード

俳句甲子園

1998年から松山市で開かれる全国高等学校俳句選手権大会。高校生が5人1組で句の優劣をディベートで競い合う。チームでの勝敗とは別に、個人の最優秀句も選ぶ。今年は過去最多の41都道府県から121校、15...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android