ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「センナケリブ」の意味・わかりやすい解説
センナケリブ
Sennacherib
[没]前681.1.
アッシリア帝国の王 (在位前 705~681) 。サルゴン2世の子。バビロニア,パレスチナ南部,小アジアにまたがる広大な帝国を受継いだが,アラム人,カルデア人,エラム人の諸部族による反乱が相次ぎ,前 703年カルデアのメロダク=バラダン2世がエラムと同盟して起したバビロニアの反乱を平定。前 702年ザクロス山中のエラムの諸属国を制圧。前 701年エジプトの助けをかりたユダ王ヒゼキアが起したパレスチナの反乱を鎮圧。前 700年再度メロダク=バラダンが乱を起したためカルデアに進攻。前 694年エラムを海と陸から攻撃したが,バビロンをカルデアに奪われた。しかしようやく前 689年バビロンを攻略,以降この宗教中心地との宥和政策を捨て,バビロンを寇掠破壊した。ニネベをアッシリアの首都として,その再建をはかり,捕虜を用いて町の拡充,宮殿の建築,周囲 13kmにも及ぶ城壁の構築,城外の緑地帯の設置を行うなど,首都の面目を一新した。また土木技術の開発,銅の精錬など多方面にその才を示したが,前 681年子に殺害された。
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