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南フランスに生まれ住んだ医師,占星術師。フランス名ミシェル・ド・ノートルダムMichel de Nostredame。1564年摂政カトリーヌ・ド・メディシスにより宮廷に招喚され,その子のフランス王シャルル9世の侍医となる。故郷にペストが猖獗(しようけつ)した際,その治療に献身して人望を高めたが,彼の名が今日知られているのは,予言詩《諸世紀》(1555)の作者としてである。四行詩節を連ねたこの長大な作品は,惑星の運動から得た予知と,神霊から送られた直観とによって書かれたという。洪水,疫病,飢饉,戦争などの異変が畳みかけるように語られ,世界終末の幻視も登場する。そのあいまいで不可解な表現が後世多くの解釈を生み,センセーションを巻き起こした。山師的人物と見られることもあるが,ノストラダムス自身の言によれば,キリスト教会がアンチキリストの到来によって一旦崩壊した後,神の意志による真の世界統治が実現することを説いた警世の書である。
執筆者:有田 忠郎
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フランスの占星学者、医者。サン・レミー・ド・プロバンスの改宗したユダヤ人の家に生まれる。幼時より学問を好み、とくに数学、占星学、医学を学ぶ。青年期には各地の大学を遍歴し、アビニョンで古典、トゥールーズで法学、モンペリエで医学を修め、1529年には医学博士になる。諸所を旅し医術を施すが、とくに消毒法を用いたペストの防疫では各地で成功を収めたと伝えられる。プロバンス地方のサロンに居を定め、医学、薬学の知識に占星学を加え、「星占いの医師」とよばれる。55年に発表した『予言集』により名声を博す。占星学に凝った王妃カトリーヌ・ド・メディシスの信任を得、パリ、ついでブロアに迎えられ、64年には「王付医師」の称号を与えられる。とくにアンリ2世の事故死の予言が名高く、またカトリーヌの3人の王子の運命、アンリ4世の即位をも予言したといわれる。当代の大詩人ロンサールにも歌われた彼は、多くの信奉者をもち、現代に至るまでさまざまな伝説を生んでいる。
[高橋由美子]
『『ある占星師の話――ミシェル・ド・ノートルダム(ノストラダムス)の場合』(『渡辺一夫著作集4』所収・1971・筑摩書房)』
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…ドイツの皇帝ルドルフ2世も,ケプラーの師であるブラーエに自分のホロスコープを作成させているが,当時は,人体の各部分(ミクロコスモス)と天体の配置(マクロコスモス)との間に著しい照応が見られるとして,特に占星術と結びついた手相学や人相学などが流行したのである。そうした傾向は近世に入ってさらに促進され,多くの予言者,占星術師,神秘家が登場するが,なかでも16世紀にシャルル9世の侍医をつとめたノストラダムスは有名である。 近世以降にも,ラーファター,F.J.ガルなどが登場し,人相学,骨相学はさらなる発展を示すわけであるが,それは同時に占いから宗教的側面が失われ,世俗化・遊戯化していくプロセスとも言えよう。…
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