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ノビコフ Novikov, Nikolai Ivanovich

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ノビコフ
Novikov, Nikolai Ivanovich

[生]1744.5.8. モスクワ,チフビンスコエ
[没]1818.8.12. モスクワ,チフビンスコエ
ロシアの啓蒙思想家。貴族の家庭に生まれ,モスクワ大学付属中学校で学んだ。新法案設定委員会で働いたのち,1769年以来『雄蜂』 Truten'をはじめとする風刺雑誌を編集発行して,農奴制と地主の専横ぶりを暴露。哲学,経済学,教育学に関する著作を書いたが,エカテリーナ2世によって逮捕,流刑に処せられた。

ノビコフ
Novikov, Sergey Petrovich

[生]1938.3.20. ゴーリキー
ロシアの数学者。1960年にモスクワ大学を卒業後,V.A.ステクロフ数学研究所で 1964年に博士号,1965年に理学博士号を取得。1964年にモスクワ大学の学部教授に就任,1975年ランダウ理論物理学研究所で数学部長となる。1983年 V.A.ステクロフ数学研究所の数学部長に就任した。1970年,フランスのニースで開催された国際数学者会議位相幾何学(→トポロジー)に関する業績によりフィールズ賞を受賞した。ノビコフの位相幾何学における業績の一つは葉層構造に関する研究である。葉層構造とは,多様体をある余次元をもった部分多様体の共通部分をもたない和に分割することであり,ノビコフは閉じた葉層の存在についての重要な結果を得た。1965年に可微分多様体の有理ポントリャーギン類(→ポントリャーギン)の位相不変性を証明。多様体のトム空間のコホモロジーとホモトピー(→ホモトピー論)についての研究でも顕著な貢献をした。後年の研究は,理論物理学数学の連携に向けられ,特にソリトン理論とテータ関数やスペクトル理論,代数幾何学との関連などについて業績を上げている。

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百科事典マイペディアの解説

ノビコフ

ロシアの数学者。幾何学,代数的位相幾何学者。微分トポロジー等の研究により,1970年フィールズ賞

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世界大百科事典 第2版の解説

ノビコフ【Nikolai Ivanovich Novikov】

1744‐1818
ロシアの啓蒙家,ジャーナリスト。近衛連隊に勤務したのちエカチェリナ2世の新法典委員会に書記として採用されるが,女帝の表面的な啓蒙主義に幻滅し,退職。《雄蜂》《駄ぼら吹き》《画家》などの雑誌を次々に創刊し,自らも啓蒙と社会風刺を内容とする評論を執筆する。出版活動にも力を注ぎ,ロシア史の大部の史料集や,シェークスピアルソーなどの作品のロシア語訳など,多くの書物を刊行した。1770年代にフリーメーソンに入会してから,学校,印刷所,病院などを設立したり,社会運動にも乗り出した。

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大辞林 第三版の解説

ノビコフ【Nikolai Ivanovich Novikov】

1744~1818) ロシアの思想家・ジャーナリスト。農奴制を批判し、啓蒙活動に努めたが、エカテリーナ二世により投獄された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ノビコフ
のびこふ
Николай Иванович Новиков Nikolay Ivanovich Novikov
(1744―1818)

ロシアの風刺作家、ジャーナリスト。貧しい貴族の出身で、モスクワ大学付属中学校を無断欠席のため放逐され、その後、軍人、役人として短期間勤務した。エカチェリーナ2世が設立した新法典委員会に一時籍を置いたが、この委員会の解散後官職を退き、1769年以降『雄蜂』『駄ぼら吹き』『画家』など社会風刺と啓蒙(けいもう)を目的とする雑誌を次々と刊行。自らさまざまな筆名を用いて農奴制社会の矛盾を摘発する記事を書きまくった。雑誌のなかには短期間に廃刊になったものもあるが、辛辣(しんらつ)な内容を含むノビコフの論説はロシアの読書社会に大きな反響をよぶとともに、その後のロシア評論の礎(いしずえ)を置くことになった。『雄蜂』誌上で、官吏の腐敗ぶりと風刺の態度をめぐって、エカチェリーナ女帝の雑誌『一切合切(いっさいがっさい)』と激しい論争を行ったこともある。雑誌編集者として活躍したほか、スマローコフ全集やシェークスピア、ルソーなどの作品のロシア語訳を刊行。1770年代にフリーメーソンに入会してからますます啓蒙活動に情熱を燃やし、学校、印刷所、病院などを設立し、社会運動にも乗り出した。しかし活動が盛んになるにつれて女帝の嫌疑を受け、逮捕ののち裁判にもかけられずに、1792年シュリッセリブルグの要塞(ようさい)監獄に投獄された。1796年女帝を継いだパーベル1世により釈放されたが、すでに往年のおもかげはなかった。[中村喜和]

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世界大百科事典内のノビコフの言及

【ロシア文学】より

…18世紀最大の詩人デルジャービンは古典主義の規則を無視し,バロック的な荘重な文体を好む一方で,イギリス〈墓地派Churchyard school〉(T.グレー,ヤングなど)の影響下にロマン派に接近する。この時代の活発な文化活動は,啓蒙思想の運動に反映し,ラジーシチェフ(《ペテルブルグからモスクワへの旅》1790),ロシア・ジャーナリズムの創始者でフリーメーソンであったノビコフらを生むことになる。文学史的により重要なのは,西欧で通例プレ・ロマンティシズムと呼ばれている流派に対応するセンチメンタリズム(主情主義)という文学潮流である。…

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