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オーストリアの気象学者、気候学者。ウィーン大学で物理学と地理学を学ぶ。ウィーン気象台長イェリネックCarl Jelinek(1822―1876)の助手として『オーストリア気象学雑誌』の編集に従事していたが、1866年から同気象台に勤めるようになり、1877年に同気象台長、ウィーン大学教授となった。その後一時グラーツ大学の教授になったが、ふたたびウィーン大学に戻り、1921年まで在職した。気象学上の研究としては、上昇気流の断熱変化の研究(1874)、フェーンの研究、平均的な大気循環論、高気圧論がある。気候学者としての業績は、『気候学ハンドブック』(1883)があり、標準的なテキストとして広く読まれた。
[根本順吉]
オーストリアの気象学者,気候学者。リンツ郊外のシュロス・ハウスに生まれる。ウィーン大学で物理学と地理学を修め,教師をし,かたわらウィーン中央気象台長イェリネックの手伝いをして《オーストリア気象雑誌Zeitschrift der Österreichische Gesellschaft für Meteorologie》の編集をした。1868年気象台員兼ウィーン大学講師となり,77年中央気象台長兼ウィーン大学教授となった。97年台長を辞し,グラーツ大学宇宙物理学教授になったが,1900年,ウィーン大学に戻り,定年までつとめた。幼いとき,アルプスの自然に親しんだ関係もあってであろう,フェーンに関する有名な研究がある。低気圧や高気圧の立体構造に関する研究もある。彼の著書《気候学ハンドブックHandbuch der Klimatologie》(1883)は気候学に関する世界で初めての本格的な著書であり,《気象学教科書Lehrbuch der Meteorologie》(1901)も長い間使われた。門下にはペルンターJ.M.Pernter,マルグレスMax Margules,トラベルトW.Trabertらがおり,学会誌がドイツの気象学会誌といっしょになり《気象学雑誌Meteorologische Zeitschrift》になってからも編集に携わり,当時の気象学界をリードした。晩年は第1次世界大戦の敗戦に遭い,困窮のうちに死去した。
執筆者:高橋 浩一郎
朝鮮語で,発散できず,内にこもってしこりをなす情緒の状態をさす語。怨恨,痛恨,悔恨などの意味も含まれるが,日常的な言葉としては悲哀とも重なる。挫折した感受性,社会的抑圧により閉ざされ沈殿した情緒の状態がつづくかぎり,恨は持続する。長い受難の歴史を通じてつねに貧しく,抑圧されて生きてきた民衆の胸の底にこもる恨は,おのずから彼らの行動を左右する要因としてはたらき,抵抗意識を生みだすようになる。韓国では植民地時代から解放後の〈外勢〉と〈独裁〉のもとで,恨は民族の〈恨〉として強く意識化されてきた。詩人キムジハは,恨を個人的・集団的に過去の歴史のなかで蓄積された〈悲哀〉であると定義し,第三世界の抑圧された民衆の抵抗の根源的活力と捉えている(《不帰》)。
執筆者:金 学 鉉
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