ハン

デジタル大辞泉 「ハン」の意味・読み・例文・類語

ハン(khan)

モンゴル族・ウイグル族・トルコ族など遊牧民族首長称号モンゴル帝国では、四ハン国君主の称。ハガン可汗かがんかん

はん

[接尾]《「さん」の音変化》人名・役職名・団体名などに付いて、軽い尊敬の意を表す。多く、関西地方話し言葉として使われる。「田中はん

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精選版 日本国語大辞典 「ハン」の意味・読み・例文・類語

はん

  1. 〘 接尾語 〙 ( 「さん」の変化したもの ) 人名、または人を表わす名詞・代名詞に付いて、軽い敬意を表わす。近世以降の関西の方言で中期頃はまだ用例が少ないが、後期になると遊里の女性が広く使うようになり、江戸その他でも遊女のことばとして用いた。現在でも主に関西で用いられる。「二郎はん」「ごりょんはん」「おいえはん」「番頭はん」「あんたはん」など。
    1. [初出の実例]「今ではこなはんとわしと旦那はんとばっかり」(出典:浄瑠璃・仮名手本忠臣蔵(1748)一〇)

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普及版 字通 「ハン」の読み・字形・画数・意味


14画

(異体字)
8画

[字音] ハン

[字形] 形声
声符は(半)(はん)。〔礼記、明堂位〕に「宮はの學なり」、〔礼記、王制〕に「侯には宮と曰ふ」とあり、字はまたに作る。〔説文〕字条十一上に「射の宮なり。西南を水と爲し、東北を牆(しやう)と爲す。水に從ひ、に從ふ。は亦聲なり」とあり、はその異文。頁(けつ)は儀容を示す字で、がその正字であろうと思われる。〔詩、魯頌、水〕の宮は宮、その水をという。

[訓義]
1. 周の学、諸侯の学。
2. 魯の宮。

[熟語]

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ハン」の意味・わかりやすい解説

ハン(Julius Ferdinand von Hann)
はん
Julius Ferdinand von Hann
(1839―1921)

オーストリア気象学者、気候学者。ウィーン大学物理学地理学を学ぶ。ウィーン気象台長イェリネックCarl Jelinek(1822―1876)の助手として『オーストリア気象学雑誌』の編集に従事していたが、1866年から同気象台に勤めるようになり、1877年に同気象台長、ウィーン大学教授となった。その後一時グラーツ大学の教授になったが、ふたたびウィーン大学に戻り、1921年まで在職した。気象学上の研究としては、上昇気流断熱変化の研究(1874)、フェーンの研究、平均的な大気循環論、高気圧論がある。気候学者としての業績は、『気候学ハンドブック』(1883)があり、標準的なテキストとして広く読まれた。

根本順吉


ハン(ハガン)
はん

ハガン

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改訂新版 世界大百科事典 「ハン」の意味・わかりやすい解説

ハン
Julius Ferdinand von Hann
生没年:1839-1921

オーストリアの気象学者,気候学者。リンツ郊外のシュロス・ハウスに生まれる。ウィーン大学で物理学と地理学を修め,教師をし,かたわらウィーン中央気象台長イェリネックの手伝いをして《オーストリア気象雑誌Zeitschrift der Österreichische Gesellschaft für Meteorologie》の編集をした。1868年気象台員兼ウィーン大学講師となり,77年中央気象台長兼ウィーン大学教授となった。97年台長を辞し,グラーツ大学宇宙物理学教授になったが,1900年,ウィーン大学に戻り,定年までつとめた。幼いとき,アルプスの自然に親しんだ関係もあってであろう,フェーンに関する有名な研究がある。低気圧や高気圧の立体構造に関する研究もある。彼の著書《気候学ハンドブックHandbuch der Klimatologie》(1883)は気候学に関する世界で初めての本格的な著書であり,《気象学教科書Lehrbuch der Meteorologie》(1901)も長い間使われた。門下にはペルンターJ.M.Pernter,マルグレスMax Margules,トラベルトW.Trabertらがおり,学会誌がドイツの気象学会誌といっしょになり《気象学雑誌Meteorologische Zeitschrift》になってからも編集に携わり,当時の気象学界をリードした。晩年は第1次世界大戦の敗戦に遭い,困窮のうちに死去した。
執筆者:


ハン (恨)
han

朝鮮語で,発散できず,内にこもってしこりをなす情緒の状態をさす語。怨恨,痛恨,悔恨などの意味も含まれるが,日常的な言葉としては悲哀とも重なる。挫折した感受性,社会的抑圧により閉ざされ沈殿した情緒の状態がつづくかぎり,恨は持続する。長い受難の歴史を通じてつねに貧しく,抑圧されて生きてきた民衆の胸の底にこもる恨は,おのずから彼らの行動を左右する要因としてはたらき,抵抗意識を生みだすようになる。韓国では植民地時代から解放後の〈外勢〉と〈独裁〉のもとで,恨は民族の〈恨〉として強く意識化されてきた。詩人キムジハは,恨を個人的・集団的に過去の歴史のなかで蓄積された〈悲哀〉であると定義し,第三世界の抑圧された民衆の抵抗の根源的活力と捉えている(《不帰》)。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「ハン」の意味・わかりやすい解説

ハン(恨)【ハン】

社会的抑圧に発する諦念と悲哀の情緒が自己の内部に沈殿し,積もった状態をさす朝鮮語。具体的な復讐の対象を措定する〈怨(ウォン)〉とは区別される。一方,挫折した夢をかなえ,望むべき新たな生を実現させようとする感情の営みを〈恨解き(ハンプリ)〉という。この〈恨―恨解き〉の連動は,長い受難の歴史の中で抑圧された朝鮮民衆の抵抗意識を生み,時には民衆蜂起という形で発現した。韓国の民衆神学では,〈恨〉をイエスに表象された〈民衆〉の受難と死,〈恨解き〉を民衆蜂起としてあらわされる〈民衆〉の復活であると説く。さらに民衆神学者の徐南同は,弱者の抱く敗北意識や虚無感などの昇華された〈消極的恨解き〉と,弱者たちの生に対する執念が積極的に作用する〈積極的恨解き〉を区別する。前者は巫俗儀礼などの優れた芸術的行為を生み,後者は受難と抵抗の朝鮮史をつき動かしてきた。南北分断後の現代では〈民族としての恨〉が語られ,それは分断時代の社会的矛盾に呻吟する貧しい〈民衆〉の姿に表象される。したがって労働者や農民,都市貧民の運動,これと連帯する学生の運動などは,分断の〈恨解き〉を実践する民衆運動であるといえる。

ハン

オーストリアの気象学者,気候学者。ウィーン大学教授。ウィーン気象台長。世界の気象学で指導的役割を果たした《オーストリア気象学会誌》(1877年―1985年),さらにそれが発展的に合併して生まれた《ドイツ・オーストリア気象学会誌》を編集。降雨の機構,フェーン現象を解明するなど学問的業績も少なくない。著書に《気象学教科書》《気候学ハンドブック》など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハン」の意味・わかりやすい解説

ハン
Hann, Julius Ferdinand von

[生]1839.3.23. ミュールクライス
[没]1921.10.1. ウィーン
オーストリアの気象学者,気候学者。ウィーン大学卒業後,高等学校の教師を務める。1867年ウィーン中央気象・地磁気研究所所員,1877年所長。1874年ウィーン大学地理学助教授,1877年教授。1897年グラーツ大学気象学教授。再びウィーン大学に戻り,1900年宇宙物理学教授。降雨現象,フェーン現象(フェーン)を中心に大気の力学と熱力学,大気の脈動,気圧などに関する優れた見解を示し,気候学の発展に貢献した。主著『全体としての地球,その気圏と水圏』Die Erde als Ganzes, ihre Atomosphäre und Hydrosphäre(1872),『気候学ハンドブック』Handbuch der Klimatologie(3巻,1883)。

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367日誕生日大事典 「ハン」の解説

ハン

生年月日:1839年3月23日
オーストリアの気象学者,気候学者
1921年没

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ハン」の解説

ハン(ハーン)

カガン(カン)

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旺文社世界史事典 三訂版 「ハン」の解説

ハン

カガン

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