ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハーリー」の意味・わかりやすい解説
ハーリー
Harley, Robert, 1st Earl of Oxford
[没]1724.5.21. ロンドン
イギリスの政治家。名誉革命ののち下院議員になり,トーリー党の穏健派に属したが,ホイッグ党からも信頼され,1701~05年議長に選ばれた。 06年スコットランドとの合同審議委員。スペイン継承戦争の終結を唱え,10年財務長官としてトーリー内閣を組織し,翌年オックスフォード伯に叙せられ,大蔵卿となり,南海会社による国債肩代り策を推進するとともに,13年ユトレヒト条約を締結して講和を実現。翌年ボリングブルック (子)と A.マサムの策謀によりアン女王死去の5日前に職を追われ,15年ユトレヒト条約に関連して弾劾され,2年間投獄された。釈放後は公職にはつかなかったが,政界への影響力は失わなかった。 D.デフォー,J.スウィフトらの文学者の保護者,古記録,古書の収集家としても知られ,ハーリー文庫を残した。
ハーリー
Ḥālī, Alṭāf Ḥusain
[没]1914.12.31. パーニーパット
インド,ウルドゥー語の文学者,詩人。サイイド・アフマド・ハーンのインド・イスラム教徒近代化運動の熱心な同調者。イスラムの盛衰を詠んだ六行詩『イスラムの潮の満干』 Madd o Jazr-e-Islām (1879) で名声を確立した。イランの詩人サーディーの評伝『サーディーの生涯』 Ḥayāt-e-Sa`dī (86) ,詩人ガーリブの評伝『ガーリブの思い出』 Yādgār-e-Ghālib (96) ,サイイド・アフマド・ハーンの伝記『永遠の生命』 Hayāt-e-Jāvēd (1901) などが名高い。近代詩運動の推進者の一人でもある。
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