翻訳|Pali
小乗仏教経典の言語として多量の文献をもち,中期インド・アーリヤ語,プラークリット語を代表する言語。その歴史は長いが,仏陀の教説を説いた聖典の偈(げ)の中の古層は前3世紀ころまでのものと推定される。ついで聖典の散文,さらにはその注釈が後5~6世紀以後にまで及び,その後も今日までスリランカ(セイロン島)を中心として新しい文献が残されている。
パーリ語は小乗経典のための文語だが,本来インドのどこの方言であったかについては大いに論議があった。古い伝説ではマガダ語としているが,言語的にみると中部インド,マディヤ・プラデーシュの西部の方言であったとする説が有力である。最も古い仏教の文献は,仏陀の故郷であるマガダ地方の東部方言からパーリ語へ訳されたと推定される。パーリ語はアショーカ王碑文のうち西部のギルナールのそれの言語に最も近いが,にもかかわらずその中にマガダ語的な要素が指摘されるのは,そのためである。たとえば,パーリ語のa語幹の男性単数主格は-o,中性は-aṃに対して,マガダ語は-eのみをもち,その痕跡がときにパーリ語にもあらわれている。
サンスクリット(梵語)とくらべると,パーリ語の形は,(サ)putra-〈息子〉-(パ)putta-,(サ)vidyā〈知識〉-(パ)vijjāのように同化が目だち,また(サ)kṣaṇa-〈刹那〉-(パ)khaṇa-のような変化もみられるが,他のプラークリット語よりはサンスクリットに近い。名詞,動詞の組織は基本的にはサンスクリットと同じだが,名詞では格の融合,動詞では能動と中動の態の差別,過去時制(未完了,アオリスト,完了)の差別が消滅の過程にある。しかし構文は,サンスクリットのような名詞文を好まず,一般に定動詞表現が中心で,しかも語順は一定して動詞が文末にくる日本語型で,ヒンディー語など近代語のそれを先取りしている。語彙はときにサンスクリットより古いと思われる形をもっている。たとえば,idha〈ここに〉はサンスクリットのihaより明らかに古い。終りに《娘道成寺》の文句などで有名であり,換骨奪胎して日本のいろは歌になった無常偈のパーリ語原文と漢訳をあげる。aniccā vata sankhārā,uppāda-vayadhammino,uppajjitvā nirujjhanti,tesam vūpasamo sukho.〈諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽〉。
→プラークリット語
執筆者:風間 喜代三
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
古代インドの言語。原始仏教聖典ならびにスリランカ、ミャンマー(ビルマ)、タイなど東南アジアの南方小乗仏教圏においては現在なお聖典語としての権威を保っている。元来「聖典本文」を意味し、注釈書に対蹠(たいせき)される概念であったが、「聖典本文の言語」の義に転化して用いられるようになった。ここに「聖典」とは、もとより原始仏教の聖典をさす。
古代インドの雅語、教養語であったサンスクリット語に対しては、俗語、方言であるプラークリット語の一環で、前者に比して音韻論的にも形態論的にも単純化の傾向を示しているが、多種多様の要素が混在していて、その基体をなした言語を特定することはむずかしい。アショカ王碑文にみえる紀元前3世紀の方言分布に徴すると、それは西部インドの方言にもっとも近いが、東部マガダ語の特徴をも備え、部分的に人為的作為の跡もみえる。前2世紀より紀元後2世紀にかけてかなり広範に北インドに通用していた言語と思われる。
5世紀以後はインドを出て東南アジアに広がり、仏典を記す文章語となり、仏教の教理、仏教文学にわたる膨大な文献を擁するに至った。
[原 實]
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中期インド・アーリヤ語に属するプラークリット(俗語)の一種。サンスクリット(古典梵語(ぼんご))に比べると簡素で古い要素を保持する。起源はマガダ語説,コーサラ語説,カリンガ語説,西インドのウッジェニー語説などがあり確定できないが,紀元前後の西北インド諸語から生まれた混淆(こんこう)言語と考えられる。この言語による古い仏教聖典が数多くスリランカ,ミャンマー,タイ,カンボジアなどに保存され,南方仏教に共通の聖典用文章語として役立っている。
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