アショーカ王石柱 (アショーカおうせきちゅう)
インドのマウリヤ朝第3代のアショーカ王が,全インドをほぼ統一した即位8年以後に北インドの要地や仏教聖地に建てた石柱。ベナレス(ワーラーナシー)近傍のチュナール産黄灰色砂岩を研磨し,継ぎ目のない一石から成る円柱。柱頭部は,下から蓮弁形をかたどった鐘形,次に分厚い円板,その上に動物を丸彫にする。柱部は縦溝がなく,先細りで,直接地中に埋めた掘立式。完存するラウリヤー・ナンダンガールの例を含めて,高さ13m前後のものと7m前後のものとがあり,もと30柱はあったが,現存例は断片も含め15例。頂上の動物は牛,獅子,象で,古文献には馬像もあったという。多くは1柱1頭だが,仏陀初転法輪の地サールナート出土例は4頭の獅子が背中合せに表現され,インドの紋章となっている。円板側面には,植物文,動物(ガチョウ,コブウシ,馬,獅子,象),法輪が浮彫される。柱上に動物をおくこと,鐘形蓮弁,植物文,石を磨くことなどの点で,ペルシアのアケメネス朝王宮ペルセポリスの造形と深く関連する。一方,一石の柱を立てる現象にベーダ諸文献にみえる宇宙軸としての柱の観念があらわれている。アショーカは統治理念を法勅として各地の岩に刻んだが,現存石柱のうち10柱にも法勅が刻まれている。石柱はインド美術史の初期様相を語る重要な資料であるばかりか,遺された法勅はインド古代史研究の第一級資料である。なお一部の石柱をアショーカ以前にあてる見解がある。
執筆者:桑山 正進
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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「アショーカ王石柱」の意味・わかりやすい解説
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アショーカ王石柱
アショーカおうせきちゅう
Aśoka
インド,マウリヤ朝のアショーカ王が仏法の実践と宣揚を願い,法勅を刻んで国内各地約 30ヵ所に建てた石柱。十数基が現存し,高さは 10~13m,チュナール産砂岩の一本石 (モノリス) を用い,表面を美しく研磨している。柱頭には4頭の獅子が背中合せに跪坐する像や,獅子,馬,牛,象のいわゆる4聖獣のなかの1獣を刻む。柱頭頂板の表面には聖獣あるいは仏教的な装飾文を彫り,その下に蓮華の意匠の鐘形部を作っている。遺品のうち,4頭の獅子を組合せたサールナート出土の巨大な獅子柱頭 (サールナート博物館) が最もすぐれている。法勅の文字はブラーフミー文字のほか,カローシュティー文字で刻まれているものもある。碑文は単に歴史的記録としてのみでなく,古代インド=アーリア語の発展段階や文字の歴史を知るうえで重要な資料となっている。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内のアショーカ王石柱の言及
【インド美術】より
…インダス文明期のそれはさておき,彫刻は前3世紀より本格化する。その代表的遺品はガンガー平原の仏教に関係深い土地に造立された[アショーカ王石柱]の柱頭彫刻としての動物像である。アケメネス朝ペルシアの技法を受け継いではいるが,その表現は柔らかく豊かなふくらみをもっている。…
【サールナート】より
…出土品の多くは遺跡の南にある考古博物館に収められている。入口正面にある[アショーカ王石柱]のライオン柱頭は,同種の柱頭彫刻のうち最も壮麗で保存もよい。4頭背中合せのライオンも,円形の頂板の側面に浮彫された動物も,洗練された技法で自然に表現されている。…
【法輪】より
…仏像出現以前の古い彫刻では,仏のあるべき位置にしばしば輪形(あるいは聖樹など)が刻まれているが,これは仏(釈迦)を法輪(もしくは聖樹など)によって象徴的に表現したものである。また,サールナート出土のアショーカ王石柱の柱頭部分には,獅子の足下の所にみごとな法輪が刻まれており,このデザインは現代のインド国旗にも,その中央部にそのまま採り入れられ描かれている。【岩松 浅夫】。…
※「アショーカ王石柱」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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