ビシュバリク(その他表記)Bishbalik

改訂新版 世界大百科事典 「ビシュバリク」の意味・わかりやすい解説

ビシュバリク
Bishbalik

中国の新疆ウイグル(維吾爾)自治区,ボグドオーラ山系の北麓にあったオアシスの名。トルコ語で〈五つの町〉(五城)の意。〈別失八里〉の漢音訳でも知られる。8~14世紀ころ,チベットなどとの抗争期を含むウイグル~モンゴル時代にこの名のもとで栄えた。13世紀の20年代,この地を訪れた丘処機は,その著《長春真人西遊記》にウイグル王の部族からブドウ酒による歓待をうけた模様を記し,当地の漢人僧侶,道士,儒者と座談を行い,仏寺竜興西寺を訪れている。モンゴル族の元朝ではジャムチが置かれるとともに屯田もなされ,交通・軍事上の重要な位置を占めた。現在のジムサJimsa(斉木薩爾)の北約12kmの〈北庭故城〉遺跡は唐の金満県で,元代の遺物も出土する。その西側のウイグル時代の仏教寺院遺跡からみても,唐代の北庭都護府,その後の北庭などがビシュバリクにあたるとする説が一般的となっている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ビシュバリク」の意味・わかりやすい解説

ビシュバリク
びしゅばりく
Biš balïq

中国の新疆(しんきょう)ウイグル自治区、東部天山山脈北麓(ほくろく)にあった城塞(じょうさい)都市。トルコ語で「五つの城市」を意味し、突厥(とっけつ)碑文に初めて現れる。唐代の史書には「五城」、後代には「鼈思馬」「別失八里」「別石把」などと記された。唐の支配のあと、トルコ系諸族が移住し、9世紀後半以後西ウイグル国の一中心となって元(げん)初まで栄えた。長春真人(ちょうしゅんしんじん)などの旅行者が記録を残している。この城市を、現在のジムサル県城北十数キロメートルの護堡子(ごほし)の破城である唐の庭州、後の北庭都護府に比定する説が有力で、清(しん)代中期には唐・元の残碑が発見されている。近年の調査では外城、子城、延城、内城、小城が確認され、「蒲類(ほるい)州之印」ほかの唐代文物、元代に属すといわれる陶器瓷器(じき)も出土している。

[片山章雄]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ビシュバリク」の解説

ビシュバリク
Bishbalik

唐代の北庭都護府所在地西ウイグル王国拠点でもある。トルコ語で「5城市」の意。天山東部北麓に位置し,遊牧世界とトゥルファン盆地を結びつける要衝にあたる。新疆(しんきょう)ウイグル自治区のジムサル(吉木薩爾)付近に城跡が残る。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「ビシュバリク」の解説

ビシュバリク
Bishbalik

新疆 (しんきよう) の天山北路にあったオアシス都市
トルコ語で「5つの城」を意味し,天山北路の要地として唐は7世紀ここに庭州 (ていしゆう) を置き,8世紀に北庭都護府に改めた。のちウイグルの都城となり,元代にはジャムチも置かれたが17世紀に衰退。

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