改訂新版 世界大百科事典 「ビラール」の意味・わかりやすい解説
ビラール
Jean Vilar
生没年:1912-71
フランスの俳優,演出家,劇団統率者。1950年代から60年代にかけて,革新的な演出と劇団運営を試み,演劇の民衆化に尽くしたその功績は大きい。南フランスの港町セットに生まれ,32年パリに出て,当時の高名な演出家デュランの弟子となる。第2次大戦中は移動劇団に属してフランス国内を巡業し,〈いかなる場所にも舞台空間を設定する技術〉を体得した。次いで仲間とともに〈七人座〉を創立,初演出(1943)のストリンドベリ《死の舞踏》は一部の注目を集めたが,若手演出家の名声を決定的にしたのは1945年のT.S.エリオット《寺院の殺人》で,その年の批評家賞を獲得した。47年に開始されたアビニョン演劇祭は野外劇の歴史上画期的な事件であり,演劇を大衆に奉仕するものたらしめようとする彼の意図の具体化でもある。教皇宮殿の中庭に3000人を超える客席と舞台を設け,シェークスピア,コルネイユ,ブレヒトなどの大戯曲を選び,装飾的な装置を廃し,照明と音楽の効果的利用により,舞台表現をテキストと俳優の演技に集約するその方法は,圧倒的な迫力をもたらした。かつてコポーの夢みた民衆演劇をビラールは彼なりに実現したといえる。51年,国立民衆劇場(TNP)の主宰者に選任され,名優G.フィリップやM.カザレスらと協力して多くの名舞台を残したが,63年,栄光のさなかに辞任,その後はスカラ座のオペラやアテネ座の1964年の《オッペンハイマー事件簿》などを手がけた。68年のアビニョンでは若者たちの異議申立てに直面して,演劇祭の次の飛躍を模索していた彼の意図は挫折し,数年後,惜しまれつつ故郷の町で死去した。
執筆者:大久保 輝臣
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報