リトアニア共和国の首都。人口54万2287(2001)。ネリス川の深い河谷の段丘上に発達している。古くからの商業都市で、鉄道、道路、空路の交通上の要地。ポーランド語名ビルノWilno。バルト三国最大の工業都市の一つで、機械金属加工、化学、精密機械、繊維、食品、木材加工などの工業が盛ん。工業生産高はリトアニアの4分の1を占め、なかでも機械金属関係は同市工業の50%以上に達する。科学、文化の中心地で、科学アカデミーやビリニュス大学のほか、40の科学研究機関をもち、学生数2万6000に達する。カトリックと東方正教会(ギリシア正教)の大司教座の所在地で、16世紀ゴシック様式の聖アンナ教会、17世紀バロック様式の聖ペテロ・パウロ教会ほか、多数の教会がある。
市街はネリス川の谷に発達し、13~16世紀に扇形に形成された旧市街は不規則な道路網をもつ。16世紀初頭に石の城壁が築かれたが、19世紀に新市街がその外側に拡張された。第二次世界大戦後、住宅地区と工業地区が北側につくられた。
[山本 茂]
5世紀ごろに集落ができ、のち城塞(じょうさい)が築かれた。1323年リトアニア大公ゲディミナスが居城を移してから、リトアニアの首都となった。リトアニアとポーランドの王朝連合後、1387年に司教座が置かれ、都市法が制定された。16世紀には商業、手工業、文化が著しく発展し、1579年にアカデミーが設立された(1803年に大学に改組)。ポーランド分割後はロシア領となったが、チャルトルイスキ公の努力によって、ビリニュス大学は1803~32年ポーランドの学術、文化の中心となった。1831年と63年には、ポーランドの独立蜂起(ほうき)と連動して反ロシア蜂起が起こった。第一次世界大戦後、ポーランドとリトアニアが独立すると、市は両国の係争地となり、1920年ポーランド軍が占領、22年正式にポーランド領となったが、第二次世界大戦勃発(ぼっぱつ)と同時にソ連軍によって占領された。40年7月からリトアニア共和国の発足に伴いその首都となった(同年8月、リトアニアはソ連邦の構成共和国となる)。1941~44年にはドイツ軍の占領下にあり、戦争によって大部分が破壊された。91年、ソ連の体制が揺らぐなか、リトアニアは独立を達成した。
[安部一郎]
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…バルト海沿岸,リトアニア共和国の首都。ロシア語ではビリニュスVil’nyus。旧名ビルノWilno,ビルニャVilnia。…
※「ビリニュス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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