ビレラ(読み)びれら(その他表記)Gaspard Vilela

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ビレラ」の意味・わかりやすい解説

ビレラ
びれら
Gaspard Vilela
(?―1572)

ポルトガル出身のイエズス会士。1556年(弘治2)来日し、府内(大分県)、平戸(ひらど)(長崎県)で布教ののち、1559年(永禄2)日本布教長トルレスの命により上洛(じょうらく)、翌1560年将軍足利義輝(あしかがよしてる)から布教の許可を得た。仏僧の圧迫を受けて堺(さかい)に避難したが、のち京都に帰り、奈良に布教。1560年代に京都を中心に近畿方面布教の基礎を築き、高山図書(たかやまずしょ)(?―1596)・右近(うこん)父子らに強く感化を与えた。1565年松永久秀・三好義継(1549―1573)の乱のため都を去り、後年は長崎地方の伝道に尽力したが、1570年(元亀1)衰弱のため離日、マラッカで没した。

[藤川 徹 2018年2月16日]

『ジョアン・ロドリーゲス著、池上岑夫他訳『大航海時代叢書第10 日本教会史 下巻』(1970・岩波書店)』『ルイス・フロイス著、柳谷武夫訳『日本史 第1巻』(平凡社・東洋文庫)』

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百科事典マイペディア 「ビレラ」の意味・わかりやすい解説

ビレラ

ポルトガル人宣教師。イエズス会士。1556年来日。豊後(ぶんご)府内,平戸布教後1559年京都に移って京都,堺,奈良を中心に布教。1566年九州に戻り壱岐(いき)・長崎・福山に布教。1570年身体衰弱を理由にインドに赴き,同地で没した。その書簡は《耶蘇(やそ)会士日本通信》に収められている。
→関連項目宣教師南蛮寺

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ビレラ」の意味・わかりやすい解説

ビレラ
Vilela, Gaspar

[生]1525頃
[没]1572. ゴア
ポルトガルのイエズス会宣教師。弘治2 (1556) 年7月ゴアから豊後に到着し,初め平戸付近に伝道。永禄2 (59) 年京都におもむき極貧戦いながら布教に尽し,同3年将軍足利義輝に謁見して布教許可を得,おもに畿内の布教に従った。同5年以後堺を布教の拠点として活躍。結城忠正親子,高山図書およびその子右近の改宗端緒を開いた。同 10年豊後に移り,元亀2 (71) 年インドに去った。その書簡は『耶蘇会士日本通信』に収められている。

ビレラ
Villella, Edward Joseph

[生]1936.10.1. ロングアイランド
アメリカの舞踊家アメリカン・バレエ学校に学び,1957年ニューヨーク・シティー・バレエ団に入り,同年 J.ロビンズの『牧神の午後』でデビュー。『インタープレイ』『ウェスタン・シンフォニー』などを踊ったが,特に 60年に踊った G.バランシンの『放蕩息子』は彼の名声を決定的なものにした。ミュージカルやテレビ番組でも主演したのち,オクラホマ・バレエ団の監督などを経て,86年マイアミ・シティー・バレエ団を創立,芸術監督に就任した。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「ビレラ」の解説

ビレラ
Gaspar Vilela

1525~72

ポルトガル人イエズス会宣教師。1556年(弘治2)豊後国府内(大分)着。平戸・博多で布教。59年(永禄2)日本布教長トレスの命令により日本人イルマンのロレンソらとともに上京,京都開教にあたった。翌年将軍足利義輝に謁見し,布教許可の制札を得て京都布教を開始。結城忠正・清原枝賢(えだかた)・高山図書(ずしょ)らに授洗。65年の義輝暗殺後,京都から追放され堺に退避。豊後国に移り,70年(元亀元)日本を去り,インドのゴアで没。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「ビレラ」の解説

ビレラ Vilela, Gaspar

?-1572 ポルトガルの宣教師。
イエズス会士。弘治(こうじ)2年(1556)豊後(ぶんご)(大分県)府内に渡来。永禄(えいろく)2年日本人修道士ロレンソらをともない京都にいく。将軍足利義輝の許可をえて伝道をはじめる。結城(ゆうき)忠正,高山図書(ずしょ)・右近親子らを改宗させ,畿内(きない)布教の基礎をきずいた。元亀(げんき)元年(1570)離日,1572年ゴアで没した。

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旺文社日本史事典 三訂版 「ビレラ」の解説

ビレラ
Gaspar Vilela

1525〜72
戦国時代,ポルトガルのイエズス会宣教師
1556年に来日し,'59年イルマンのロレンソらを伴い九州から上京。'60年13代将軍足利義輝から許可を得て,京都・奈良・堺で布教活動を行い,フロイス・アルメイダらがこれを援助した。'71年ゴアに帰り,翌年同地で没した。

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