コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

府内 フナイ

7件 の用語解説(府内の意味・用語解説を検索)

デジタル大辞泉の解説

ふ‐ない【府内】

府の区域または管轄内。
御府内(ごふない)

ふない【府内】

大分市の古称。

出典|小学館
デジタル大辞泉について | 情報 凡例

百科事典マイペディアの解説

府内【ふない】

現在の大分市中心部に形成された城下町で,当時の豊後国最大の都市。一帯は古代には豊後国府が所在し,中世には府中とよばれた。戦国期には大友氏の城下として栄え,16世紀半ばには豊後におけるキリスト教布教の中心地でもあった。
→関連項目アルメイダ

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
百科事典マイペディアについて | 情報

世界大百科事典 第2版の解説

ふない【府内】

豊後国(大分県)の城下町。現在の大分市中心部。古代には豊後国府の所在地で,戦国時代には大友氏の城下が設けられ,海外貿易港としても繁栄し,府中とも呼ばれた。府内藩は1594年(文禄3)早川長敏,97年(慶長2)福原直高,99年早川長敏,1601年竹中重利,34年(寛永11)日根野吉明,58年(万治1)から大給(おぎゆう)松平氏と領主が交替した。近世の府内城下町の建設は,1597年福原直高が府内城の建設を開始したことに始まる。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
世界大百科事典 第2版について | 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

府内
ふない

御府内(ごふない)とも称し、江戸の範囲を示す用語であり、一方、地名としては大分市の旧称である。江戸の府内の範囲はかならずしも明確ではないが、1818年(文政1)になって「朱引(しゅびき)」としてその範囲が規定され、ほぼ町奉行(まちぶぎょう)支配の範囲とされた。
 九州の府内は、大分市の古国府(ふるごう)の地に所在した律令(りつりょう)期以来の豊後(ぶんご)国府が起源。中世には府内とよばれるようになり、鎌倉時代には守護(しゅご)大友氏が古国府北部の上野丘に城館を構え、大友氏の威勢とともに東九州の政治・経済・文化の中心として栄えた。宗麟(そうりん)のとき貿易港としても繁栄のピークを迎え、キリスト教を保護し、ダイウス堂、病院などを設け、現在の元町付近から長浜町に至る市街地を整備したが、1586年(天正14)島津氏に焼き払われた。大友氏滅亡後は、早川長敏(ながとし)、福原直高(なおたか)、早川長政、竹中重利(しげとし)、日根野吉明(ひねのよしあきら)が相次いで支配し、1658年(万治1)に松平(大給(おぎゅう))忠昭(ただあき)が2万2000石で入部して府内城を居城として以来、府内藩は九州では数少ない譜代(ふだい)大名として明治まで続いた。1871年(明治4)廃藩とともに府内県となり、さらに78年大分県に編入され、その県庁所在地となって現在に至る。[金田章裕]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例

世界大百科事典内の府内の言及

【豊後国】より

…宗麟は1559年(永禄2)までに豊後のほかに豊前,筑前,筑後,肥前,肥後の九州北半6ヵ国の守護職を得,九州探題職にも補せられた。1551年(天文20)ザビエルを府内に招いてキリスト教布教を許可するとともに,みずからも受洗しフランシスコと称した。府内には育児院や病院,教会などが建てられ,南蛮文化の拠点となった。…

※「府内」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
世界大百科事典 第2版について | 情報

今日のキーワード

百条委員会

地方自治体が議決により設置する特別委員会の一つ。名称は「地方自治法第100条」に基づく。百条委員会は、地方公共団体の事務に関する調査を行い、関係者への聞き取りや記録の提出を請求、拒否した者には罰則が科...

続きを読む

コトバンク for iPhone

府内の関連情報