ピーターマリッツバーグ(読み)ぴーたーまりっつばーぐ(英語表記)Pietermaritzburg

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ピーターマリッツバーグ
ぴーたーまりっつばーぐ
Pietermaritzburg

南アフリカ共和国東部、クワズールー・ナタール州(旧ナタール州)の州都。ドラケンスベルク山脈東麓(とうろく)の標高670メートルに位置する。人口37万8126(1996)。1839年ブーア人の内陸移動によって建設され、その指導者ピーター・レティーフとゲルト・マリッツGerritt Maritzの名にちなんで命名された。1856年ナタール共和国の首都となった。各種行政機関のほか、ナタール大学、博物館、美術館などの文化施設がある。第二次世界大戦後、工業が発展し、酪農製品、アルミニウム製品、ゴム製品、家具などを生産する。近郊にはネイピア要塞(ようさい)、ワールズ・ビュー岩丘、ホーウィック滝など史跡、名勝が多い。

[林 晃史]

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百科事典マイペディアの解説

ピーターマリッツバーグ

南アフリカ共和国東部,クワズール・ナタール州の州都。インド洋岸のダーバン北西約80km,ドラケンスバーグ山脈東麓にある。皮革工業が盛ん。大学(1909年創立)がある。1838年ズールー人を破ったボーア人により創設され,1842年英国に占領された。40万5385人(1996)。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ピーターマリッツバーグ
Pietermaritzburg

南アフリカ共和国東部,クワズールー・ナタール州都。通称マリッツバーグ。ダーバン西北西約 65km,ドラケンスベルク山脈東麓,樹木の多い丘陵に囲まれた谷に位置。1838年ボーア人の移住者が建設し,ズールー族との戦争で死んだ 2人の指揮官ピート・レティーフ,ゲルト・マリッツの名にちなんで命名。1843年イギリスが占領。1856年イギリス領ナタール植民地の首都となった。特産のワットル樹皮の加工のほか,第2次世界大戦後,工業も急速に発展,食品,家具,アルミニウム製品,ゴム製品などを産する。州および市の行政庁,アングリカン聖堂,ローマ・カトリック聖堂などがあり,クワズールー・ナタール大学をはじめ博物館,美術館,公園などの文化施設も整備されている。都市圏人口 55万3223(2001)。

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デジタル大辞泉の解説

ピーターマリッツバーグ(Pietermaritzburg)

南アフリカ共和国東部、クワズールナタール州の都市。同州の州都。ドラケンスバーグ山脈の東麓、ダーバンの北西約80キロメートルに位置する。グレートトレックとよばれるボーア人の大移動により建設。名称は開拓の先導者ピーター=レティーフとゲルト=マリッツに由来する。市庁舎、州議事堂、セントピーター教会、開拓者博物館など植民地時代の建物が多く残っている。

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世界大百科事典 第2版の解説

ピーターマリッツバーグ【Pietermaritzburg】

南アフリカ共和国東部,クワズールー・ナタール州の都市。人口15万6000(1991)。ドラケンスバーグ山脈のふもと,インド洋岸ダーバン港の北西80kmの標高700mほどの地点にある。工業都市で自動車組立て,ディーゼルエンジン製作などのほか,衣料,履物,家具,チョコレートなどの軽工業が発達している。ナタール大学,国立博物館,植物園その他の学術・文化施設もある。ケープ植民地から移動してきたオランダ系のボーア人が,1838年ズールー族を敗走させたのち建設した町で,戦死したピーター・レティーフとヘリト・マリッツを記念して地名とした。

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