改訂新版 世界大百科事典 「ピートリー」の意味・わかりやすい解説
ピートリー
William Mathew Flinders Petrie
生没年:1853-1942
イギリスの著名なエジプト学者。主として考古学の分野で大きな業績を残した。祖父はオーストラリア探検に名を残したフリンダーズMatthew Flinders(1774-1814)。精確な測量を中心とする組織的な発掘法によってエジプト考古学を刷新し,20世紀初めの考古学者に多大の影響を与えた。その方法は浜田耕作の活動と著作(《通論考古学》)によって日本に紹介され,梅原末治も彼のもとで学んだ。日本ではペトリーと記されることが多い。少年時代に虚弱だったので,学校教育はまったく受けず,すべてを両親から学んだ。土木技師であった父と地質学者で古銭収集家であった母から教育を受けて,古銭に興味をもち,測量に優れた才能を示し,さらに古代度量衡の研究へ進んだ。1880年にストーンヘンジで優れた測量調査を行ってのち,エジプトに渡りギーザのピラミッドを精確に測量して既存の学説の不備を批判したことから,彼の精力的なエジプト調査が始められた。83年にロンドン大学エジプト学講座の初代教授となった。エジプト学者としては,言語学的研究を軽視する傾向が強かったが,研究の範囲は古代エジプトの全時代にわたり,日常的な出土品を重視する見方を考古学のなかに定着させ,エジプト先王朝時代編年の枠組みをつくった功績は大きい。そのなかから編み出されたセリエーション・システムと仮数年代法sequence datesは著名である。1923年にはサーの称号を与えられた。26年以来,パレスティナに活動の本拠を移し,エルサレムの書斎で研究中に病死した。彼の著書は考古学,歴史学以外にも天文学,社会学,宗教学を含み,102冊,論文410編,書評388編という膨大なものである。発掘すると,その年か翌年には必ず報告書を出版するというように,手早い仕事から生み出された成果であり,発掘報告の義務という観点からいえば重要なことであるが,最近,彼のフィールドノートと報告書に記載された事実の食い違いが検討されている。また大量の作業員を一時に働かせて短期間で成果を挙げようとする彼の発掘方法は,R.E.M.ウィーラーの厳しい批判を受けた。
執筆者:小野山 節
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報