ドイツの物理学者。ダンツィヒ(現、ポーランドのグダニスク)で商家の長男として生まれる。1701年、両親の急逝に伴ってアムステルダムに移り、科学機器製造の仕事に携わることになった。一時期ドイツ各地を周遊しライプニッツと文通もした。1717年アムステルダムに帰り、密度計、揚水ポンプなどの製造の事業を拡張した。そうした事業と併行して、諸物質の密度、沸点、膨張率などを測定し物性科学に貢献したが、最大の功績は温度計の目盛りの標準化である。健康な男性の口の中または腋(わき)の下の温度を90(のちに96)とし、氷と水の混合物の温度を30(のちに32)とした彼の考え(1724)は、欧米で今日も用いられる華氏温度目盛(。中国では彼の名に華倫海の文字をあてた)の発端となった。
[高田誠二]
ドイツの物理学者。ダンチヒの生れ。1701年の両親の死を機に,アムステルダムに出て科学装置製造業に従事,その後07年ころから10年間各国をまわり,各地で科学者たちと会って標準温度計の必要性を知り,水と氷が共存する温度と健康な男性の体温を固定点とする最初の標準温度計を製作,これが華氏温度目盛(中国でファーレンハイトに華倫海の字を当てたことに由来する)の原型となった。また,大気圧の高低による水の沸点変化にも気づいており,水の沸点の読みから直接に大気圧を決定することのできるような温度計も製作した。24年には,イギリスのローヤル・ソサエティに入会が許された。
執筆者:日野川 静枝
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…18世紀ころからは,各地の気温を比較する必要などのため,定量的測定の可能な目盛のある温度計が作られるようになり,氷の融点などを温度の定点とする提案がなされた。G.D.ファーレンハイトは1717年ごろに水銀温度計を製作し,水,氷,食塩を混ぜて得られる温度を0度,氷の融点を32度,体温を96度とする華氏温度目盛を考案し,42年にはA.セルシウスが氷の融点を0度,水の沸点を100度とする摂氏温度目盛(セルシウス度)を導入した。以後,温度計と温度目盛の改良は熱学の発展を促すことになった。…
…ガラス管の中に液体を封入した構造の温度計は,17世紀半ばにイタリアなどで実用化され,ヨーロッパ各地に普及した。18世紀に入ると,G.D.ファーレンハイト,A.セルシウスらによって温度目盛の基準化が進められ,バイメタルを利用した温度計も考案された。19世紀の物理学の進展は,温度の概念に熱力学的および統計力学的な基盤を与えるとともに,電磁気現象や熱放射現象を利用する温度計,すなわち熱電対を利用した熱電温度計,金属や半導体の電気抵抗が温度によって変わることを利用した抵抗温度計,物体からの放射エネルギーの量を測定する放射温度計,輝度を標準の電球と比較して温度を測る光高温計などの発明をもたらし,また,温度測定の統一的な基準となる熱力学温度の単位の構想や,気体液化による低温の利用,電流の熱作用による高温の発生などを可能にした。…
…記号は゜F。ドイツ(現,ポーランド)の実験学者G.ファーレンハイトが1724年に提案した。彼は,寒剤で得られる最低温度を0,人体の温度を12(後に96)としたと伝えられる。…
※「ファーレンハイト」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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