フェレイラ(読み)ふぇれいら(その他表記)Christóvão Ferreira

デジタル大辞泉 「フェレイラ」の意味・読み・例文・類語

フェレイラ(Christovão Ferreira)

[1580~1650]ポルトガルイエズス会宣教師。日本名、沢野忠庵。慶長14年(1609)ごろ来日し、上方中心布教迫害にあって棄教。宗門改め協力蘭学発展の基礎を築いた。著「顕偽録」「南蛮外科秘伝書」など。

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精選版 日本国語大辞典 「フェレイラ」の意味・読み・例文・類語

フェレイラ

  1. ( Christovão Ferreira クリストバン━ ) ポルトガルのイエズス会士。日本名沢野忠庵。慶長一五年(一六一〇)頃来日し、近畿を中心に布教に努めたが、禁教の迫害にあって棄教し、幕府通辞として宗門改めに協力、「目明し忠庵」と呼ばれた。「顕偽録」「天文備用」「阿羅陀外科指南」などを著わし、鎖国下の日本に蘭学発展の基礎を築いた。(一五八〇‐一六五二

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「フェレイラ」の意味・わかりやすい解説

フェレイラ
ふぇれいら
Christóvão Ferreira
(1580―1650)

日本名沢野忠庵(さわのちゅうあん)。転び伴天連(バテレン)。ポルトガルのジブレイラに生まれ、1596年イエズス会に入会。1609年(慶長14)ごろ来日し、京都、大坂など上方(かみがた)を中心に布教活動を行い、1632年(寛永9)同会日本管区長となる。キリスト教迫害下の長崎に潜伏中、1633年に捕らえられ、過酷な穴吊(づ)りの拷問にあって、耐えきれず棄教した。その後、沢野忠庵の名で幕府のポルトガル通詞(つうじ)となり、またキリシタン検索のために行われた宗門改(あらため)に協力して、「目明し忠庵」とよばれた。キリシタン排撃の書である『顕偽録』(1636)を著したほか、鎖国下の日本に西洋医学や天文学を伝えた『天文備用』(1644)、『南蛮外科秘伝書』などがあり、蘭学(らんがく)発展の基礎をつくった。

[磯見辰典 2018年2月16日]

『古賀十二郎著『長崎洋学史』(1966・長崎文献社)』

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改訂新版 世界大百科事典 「フェレイラ」の意味・わかりやすい解説

フェレイラ
Christóvão Ferreira
生没年:1580-1650

イエズス会司祭。のち棄教して,日本名沢野忠庵を名のる。ポルトガルのトレス・ベドラス出身。1596年イエズス会に入り,1609年(慶長14)来日して京都布教に従事。禁教令施行後も日本に残留潜伏し長崎で管区長秘書を務め,のち23年(元和9)ころ上京し当地方の地区長,32年(寛永9)日本準管区長に任命されるが,翌年捕らわれ穴吊り刑の拷問にかけられ棄教,36年イエズス会より追放される。同年沢野忠庵の日本名で《顕偽録》を著しキリシタン宗門の真偽を論じて排耶論を展開し,のちの排耶書に教理的裏づけを与えた。長崎に居住し奉行配下に入って目明し忠庵と称せられた。また43年筑前大島に潜入したイエズス会司祭が携帯していた天文書の邦訳を命ぜられた。これが《乾坤(けんこん)弁説》であり,ヨーロッパの科学思想の紹介に寄与した。50年(慶安3)死去したが,信仰に立ち返ったためと言われている。
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百科事典マイペディア 「フェレイラ」の意味・わかりやすい解説

フェレイラ

ポルトガル人イエズス会司祭。1609年ころ来日,長崎,京都方面を布教。1632年日本準管区長となったが翌年逮捕され,穴づりの拷問にあって棄教。1636年イエズス会より追放される。同年沢野忠庵(さわのちゅうあん)の名で《顕偽録》を著してキリシタン論難,のちの〈排耶書(はいやしょ)〉に教理的裏付を与えた。また長崎に住し,奉行の配下で宗門改役に協力,目明(めあかし)忠庵と呼ばれた。1643年筑前(ちくぜん)大島に潜入していたイエズス会司祭が所持していた天文書の邦訳に参画,《乾坤弁説(けんこんべんせつ)》が成る。ほか《南蛮流外科書》などにより,鎖国下における西洋医学,天文学の紹介に寄与した。晩年再改宗し,刑死したとの説がある。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フェレイラ」の意味・わかりやすい解説

フェレイラ
Ferreira, Cristovão

[生]1580. トレスベドラス
[没]1650.11.4/5. 日本
日本名は沢野忠 (仲) 庵。ポルトガルのイエズス会司祭。 1596年 12月イエズス会に入り,のちマカオを経て,1609年5月 16日来日,布教に成功を収め,32年 12月 23日同会の日本管区長となった。寛永 10 (1633) 年長崎で捕えられ,迫害拷問の末転向を表明,沢野忠庵と名のり長崎に住んで江戸幕府の通詞をつとめ,宗門改め役に協力して目明かし忠庵と呼ばれた。同 13年キリスト教を反駁した『顕偽録』を刊行した。また『天文備用』 (1644) ,『南蛮流外科秘伝書』 (のち『阿羅陀外科指南』と改題) を著わして向井元升,西玄甫らの門人に西洋学術を伝え,蘭学への道を開いた。晩年に信仰を再び表わし,刑死したと伝えられる。

フェレイラ
Ferreira, António

[生]1528. リスボン
[没]1569. リスボン
ポルトガルの詩人。コインブラ大学で法律を学び,人文主義者ディオーゴ・デ・テーベと交わる。リスボンで判事をしていたときに,ペストで死亡。代表作の悲劇『カストロ』A Castro (1557執筆,87刊) は古典劇の傑作で,詩人ガルシア・デ・レゼンデによって始められたテーマである,王子ペドロと美しい女官イネース・デ・カストロの悲恋を扱ったものである。2つの喜劇『ブリスト』 Bristoと『嫉妬深い男』 Cioso (ともに 1622刊) がある。詩作品は『ルジターニアの詩』 Poemas Lusitanos (1598) に収められている。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「フェレイラ」の解説

フェレイラ Ferreira, Christovão

沢野忠庵(さわの-ちゅうあん)

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