デジタル大辞泉 「フランツ」の意味・読み・例文・類語
フランツ(Franz)
(~ Joseph)(1世)[1830~1916]オーストリア皇帝。在位1848~1916。1867年オーストリアハンガリー帝国を成立させ、ハンガリー国王を兼任。バルカン問題でロシアと対立し、第一次大戦の口火を切った。大戦中に没。フランツ=ヨーゼフ。フェレンツ=ヨージェフ。
(~ Ferdinand)[1864~1914]オーストリア皇太子。の
神聖ローマ帝国最後の皇帝(在位1792~1806)。オーストリア皇帝としてはフランツ1世(在位1804~35)。レオポルト2世の子。強固な絶対主義的政治信念のもと、フランス革命といっさいの革新に反対してヨーロッパ反動勢力の主柱となった。ポーランド分割によってポーランドを滅亡させ、1804年ハプスブルク家の新旧領地を統合してオーストリア帝国を創建した。他方、対仏大同盟に参加してナポレオン1世に対抗したが敗れ(アウステルリッツの戦い)、南西ドイツ諸国がライン同盟を結んでナポレオンの保護下に入るに及び、06年神聖ローマ帝国解体を宣言して、帝位を退いた。10年皇女マリ・ルイーズをナポレオン1世に与えて一時対仏関係を鎮静させ、メッテルニヒとともに再起を目ざした。ウィーン会議以降は正統主義の原則のもと、15年の神聖同盟、ついで18年に結成された五国同盟の一員として、王政復古後の現状維持に努めた。
[岡崎勝世]
ドイツ・ロマン派のリート作曲家。ハレの一般市民の子として生まれる。毎晩父が歌うプロテスタント教会コラール(賛美歌)を聴いて育ち、母からピアノの手ほどきを受けたのが少年期の唯一の音楽教育だった。デッサウの音楽家シュナイダーのもとで2年間音楽理論を学ぶが、結局故郷に帰り、バッハ、ヘンデル、シューベルト、シューマン、メンデルスゾーンの作品を研究しながら独学で音楽を修めた。1841年ハレのウルリヒ教会のオルガン奏者、翌年同市ジングアカデミー合唱団の指揮者、59年大学音楽監督となり、おりからドイツで盛んになったバッハ復興運動の中心人物となった。43年には最初の歌曲集が出版され、生涯に350曲を超える歌曲を書いた作曲家としての当時の評価の高さは、リストが彼の評伝(1872)を書くほどの崇拝ぶりからもうかがえる。
[樋口隆一]
ドイツ・ロマン派のリート作曲家。1841年生地ハレの教会オルガン奏者,翌年同地のジングアカデミーの指揮者に就任。43年最初のリート集を発表。59年からハレ大学音楽監督も務める。J.S.バッハやヘンデルの音楽に傾倒し,編曲などを手がけ,それは彼のリートの作風にも影響している。代表的な歌曲集に《おやすみGute Nacht》を含む《十二の歌曲》(1846),《静かな確信Stille Sicherheit》を含む《六つの歌曲》(1860)などがある。
執筆者:西原 稔
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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