ブラガ(英語表記)Braga

デジタル大辞泉 「ブラガ」の意味・読み・例文・類語

ブラガ(Braga)

ポルトガル北部の都市。リスボンポルトに次ぐ同国第3の都市。古代ローマ時代は属州の首都として栄え、イスラム支配後、12世紀から18世紀にかけて大司教座が置かれた。宗教の中心地として知られ、12世紀建造のブラガ大聖堂、郊外の巡礼地ボンジェズスがある。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ブラガ」の意味・わかりやすい解説

ブラガ
Braga

ポルトガル北部,ブラガ県の県都。前296年頃にカルタゴ人(→カルタゴ)によって建設され,軍事上の要地を占めて発展。5世紀にはスエビ族が,585年には西ゴート人(→ゴート人)が占領した。716年ムーア人(→ベルベル人)が進出したが,1040年にカスティリア=レオン王フェルナンド1世によって征服された。12世紀に建造された大聖堂(16世紀再建)はムーア様式と華麗なゴシック様式を融合させたマヌエリノ様式の建築である。近隣には 17世紀に創建された聖十字架聖堂や,稀覯本・稀覯書を多数収蔵する図書館もある。東の山の斜面に建つボン・ジェズス・ド・モンテ聖域(2019世界遺産登録)は聖霊降臨の日に数千もの巡礼者が訪れ,噴水や彫像で装飾された 18世紀の階段で有名である。小火器,宝飾品,刃物類,家具,電子部品などが製造され,6月と 9月には大規模な牛市が開かれる。1973年創立のミニョ大学がある。ポルトビアナドカステロとは高速道路と鉄道で結ばれている。人口 12万1000(2011推計)。

ブラガ
Braga, Teófilo

[生]1843.2.24. ポンタデルガダ
[没]1924.1.28. リスボン
ポルトガルの詩人,文学史家。ポルトガル共和国臨時大統領 (1910,15) 。ポルトガル文学の系統的研究の創始者。 1859年最初の詩集『緑の葉』 Folhas Verdesを発表。実証主義の信奉者としてその哲学に基づいた作品を多く残した。詩集『時代の幻想』 Visão dos Tempos (1864) のほか,『ポルトガルにおけるロマン主義の歴史』 História do Romantismo em Portugal (80) ,『ポルトガル文学における近代理念』 As Modernas Ideias na Literatura Portuguesa (92) ,『ジル・ビセンテとポルトガル演劇の起源』 Gil Vicente e as Origens do Teatro Português (98) など。

ブラガ
Blaga, Lucian

[生]1895.5.9. ランクラム
[没]1961.5.6. クルージ
ルーマニアの詩人,哲学者。ドイツ観念論哲学と表現主義の影響を受け,のちに独自の文化哲学を築き,ルーマニアの思想界に深い影響を与え,弟子の M.エリアーデを通じて,現在のヨーロッパの思想界にも影響を及ぼした。主著『文化と認識』 Culturǎ si cunostinţǎ (1922) ,『認識3部作』 Trilogia cunoasterii (31~34) ,『文化3部作』 Trilogia culturii (44) ,詩集『光明の詩』 Poemele luminii (19) ,『眠りの賛美』 Lauda somnului (29) ,戯曲『少年十字軍』 Cruciada copiilor (30) ,ゲーテの『ファウスト』の訳 (55) 。

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朝日日本歴史人物事典 「ブラガ」の解説

ブラガ

没年:1911.3.21(1911.3.21)
生年:1840.3
明治期のお雇い外国人。香港で生まれたポルトガル人。香港の英国造幣局をへて香港政庁秘書局に勤務ののち,大阪の造幣寮の技術指導のため日本に招かれた香港の元英国造幣局長キンダーの部下として明治3(1870)年来日した。造幣寮では勘定役兼帳面役に就任,地金銀の受け渡しを複式簿記法で記帳整理し,また職員に複式簿記を講義した。造幣寮の事業が軌道にのり,8年お雇い外国人は解職されたが,彼は大蔵省に招かれ,官庁簿記の設計を指導し,省内外の職員に複式簿記を講義して,同省が企図した官庁統一金銭会計制度の確立に大きな貢献を果たした。11年任期を終えて退職,弟と簿記学校を経営したのち,20年大阪および神戸駐在ポルトガル副領事に就任。33年上海へ渡り,次女の嫁ぎ先の一家の事業に参加,同地で死去した。墓は上海にあったが,のちに長男の日本人妻の娘によって神戸修法ケ原墓地にあるブラガ一族の墓に移された。<参考文献>西川孝治郎『日本簿記史談』,細谷新治『商業教育の曙』下

(細谷新治)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「ブラガ」の意味・わかりやすい解説

ブラガ
Braga

ポルトガル北部,ミーニョ地方および同名県の主都。人口6万5008(1981)。3世紀末,ローマ帝国の属州ガラエキアの主都となる。聖ヤコブ伝道の地と伝えられ,イベリア半島におけるキリスト教化の重要な拠点であった。のちにはゲルマン人の一派,スエビ族が建てた王国の首都(409-585)となる。12世紀初頭より18世紀末まで大司教領で,中世には大司教管区をめぐってサンチアゴ・デ・コンポステラと対立し,トレドとも首座を争った。現在,県内の商工業,交通の要地であるが,多くの教会を擁し依然として宗教都市の伝統を守っている。
執筆者:


ブラガ
Lucian Blaga
生没年:1895-1961

ルーマニアの詩人,哲学者。トランシルバニアの出身で,ウィーンに留学し,哲学を学んだ。帰国後12年間外交官として勤務し,1936年にクルジュ大学の文化哲学の主任教授となった。《認識の三部作》(1922),《文化の三部作》(1944)など,多くの文化哲学の著作がある。また,生の歓喜を神話と自然の世界に託して歌う《光の詩》(1919),人間の魂の深部をえぐる《眠りの賛歌》(1929)などの詩集のほか,劇作,評論も多い。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブラガ」の意味・わかりやすい解説

ブラガ(ポルトガル)
ぶらが
Braga

ポルトガル北西部、ミーニョ県の県都。人口10万5000(2001)。紀元前3世紀にカルタゴ人が入植したとされ、ローマ時代にはブラカラ・アウグスタBracara Augustaの名で知られた。5世紀からスエビ人、ついで西ゴート人が、また8世紀にはイスラム教徒が支配した。12~18世紀は大司教領となり、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステラと教会の優位を争った。現在も12世紀ロマネスク様式(16世紀マヌエル様式、18世紀バロック様式が加わる)の大聖堂をはじめ多くの教会が残り、宗教中心地となっている。銃器製造、宝石、肉加工、衣類縫製のほか、フェルト帽子の製造業がある。

[田辺 裕・柴田匡平]


ブラガ(Lucian Blaga)
ぶらが
Lucian Blaga
(1895―1961)

ルーマニアの詩人、哲学者。トランシルバニアに生まれる。神学校に学んだのち、ウィーン大学で哲学博士の学位を得た。1938年にクルージュ大学の文化哲学講座の主任教授に任命された。非合理主義を基調とし、独特の民族学的神話に彩られた彼の哲学は「認識の三部作」「文化の三部作」「価値の三部作」(1943~1946)に集大成されている。また、故郷の自然美を歌い、深い哲学的思索を表現した詩作品には『光の詩』(1919)、『眠りへの賛歌』(1929)、『分水界で』(1933)などがある。ほかに劇作、翻訳もある。

[直野 敦 2015年11月17日]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「ブラガ」の解説

ブラガ Braga, Vicente Emilio

1840-1911 ポルトガルの教育者。
1840年3月香港生まれ。同地のイギリス造幣局につとめる。明治4年(1871)来日,大阪造幣寮勘定役となり,日本にはじめて簿記法を導入。8年大蔵省にまねかれ簿記法をおしえた。20年大阪・神戸駐在ポルトガル副領事となった。1911年3月21日死去。71歳。

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