コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

ブラッサイ Brassaï

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ブラッサイ
Brassaï

[生]1899.9.9. ブラッソー
[没]1984.7.8. ニース
ハンガリー生れのフランスの代表的写真家,詩人,彫刻家。本名 Gyula Halász。ブラッサイという呼び名は生地に由来する。初め画家を志してブダペストとベルリンの美術学校に学んだが,1924年以来パリに住み,30年頃から写真家に転向。 33年 P.モーランの詩を付した写真集『夜のパリ』を発表。第2次世界大戦後,作品集『ブラッサイ』 (1954) を出版,このほか写真による舞台装飾などを試みた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディアの解説

ブラッサイ

フランスの写真家。ハンガリーのブラッソー(現ルーマニア)生れ。本名ギュラ・ハラース。ブダペストの美術学校,ベルリンの美術学校で学び,1922年に芸術修士号を取得。
→関連項目ドアノーブラント

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典 第2版の解説

ブラッサイ【Brassai】

1899‐1984
フランスの写真家。本名はギュラ・ハラスGyula Halàsz。ルーマニア,トランシルバニア地方のブラッソー(当時はハンガリー領)という村に生まれ,ブラッサイの名はそれに由来する。ブダペストとベルリンで絵の勉強をし,1923年パリに出てくる。そこでジャーナリストの仕事につくが,同じハンガリー人の写真家ケルテスAndré Kertészとの出会いがブラッサイに写真への道をひらいた。ブラッサイはまず,パリの夜の姿にカメラを向け,写真集《夜のパリParis de Nuit》(1933)をまとめた。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

大辞林 第三版の解説

ブラッサイ【Brassaï】

1899~1984) ハンガリー出身の写真家。1930年代のパリのデカダンスに満ちた情景を撮影、人気写真家となる。ピカソの友人で、その伝記も書く。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ブラッサイ
ぶらっさい
Brassaii
(1899―1984)

ハンガリー出身のフランスの写真家。本名ギュラ・ハラシュGyula Halsz。トランシルバニアのブラッソ(現ルーマニア領)生まれ。ブダペストとベルリンで絵画を専攻したのち、1923年パリに出るが、それを機にブラッソ出身の男の意であるブラッサイを名のる。パリで同じくハンガリー出身のアンドレ・ケルテスに出会い、ジャーナリストの仕事と写真の基礎知識を授かり、絵画を放棄して新しい写真の美を求め、モンパルナスの夜の妖(あや)しい魅力を記録した写真集『夜のパリ』を33年に出版して一躍脚光を浴びた。第二次世界大戦でパリが占領されると、ナチスによって屋外撮影が禁止されたこともあって、絵画、彫刻、詩作と多彩な活動を続け、戦後はふたたび写真集『グラフィティ』(1956)でパリの壁の落書きを映像でまとめるかたわら、親交のあったピカソやヘンリー・ミラーのドキュメントをまとめ、貴重な時代の証言を後世に残した。ニースで没。[平木 収]
『ブラッサイ著、飯島耕一・大岡信訳『語るピカソ』(1968・みすず書房) ▽ブラッサイ著、飯島耕一・釜山健訳『作家の誕生 ヘンリー・ミラー』(1979・みすず書房)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

20世紀西洋人名事典の解説

ブラッサイ
Brassaï


1899 - 1984.8.8
フランスの写真家。
ハンガリー出身。
本名ギュラ・ハラス〈Gyula Halász〉。
ブラッサイはペンネームで「ブラッソーから来た男」の意。ブタペストとベルリンで絵画を専攻。1923年パリに出て芸術家のサークルに入り素描家、彫刻家として活躍。アンドレ・ケルテスと出会い写真へと転向。’33年モンパルナスの夜の妖しい魅力を記録した写真集「夜のパリ」で一躍注目を浴びる。第二次大戦中は絵画、彫刻、詩作と多彩に活動。戦後’56年パリの壁の落書き映像でまとめた「グラフティー」を出版。他にピカソとのドキュメンタリー「ピカソとの対話」(’64年)等の著書がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

ブラッサイの関連キーワードシャーカフスキーデカダンスウィージーモディアノ飯島耕一ブラック伝記ダリ情景

今日のキーワード

隗より始めよ

《中国の戦国時代、郭隗(かくかい)が燕(えん)の昭王に賢者の求め方を問われて、賢者を招きたければ、まず凡庸な私を重く用いよ、そうすれば自分よりすぐれた人物が自然に集まってくる、と答えたという「戦国策」...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android