ブレイ(読み)ぶれい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブレイ」の意味・わかりやすい解説

ブレイ(Paul Bley)
ぶれい
Paul Bley
(1932―2016)

カナダ生まれのジャズピアノ奏者。モントリオールに生まれる。5歳でバイオリンを、9歳になるとピアノを習得、11歳でモントリオールのマックギル少年音楽院を卒業、翌年には早くも自己のトリオを率いホテルで演奏を行う。17歳のとき地元のライブ・スポット「アルバータ・ラウンジ」に、オスカー・ピーターソンの後を引き継いで出演し注目される。1950年アメリカに行き、ニューヨークのジュリアード音楽院で作曲と指揮を学ぶかたわら、多くのミュージシャンと共演する。とくにアルト・サックス奏者チャーリー・パーカーの演奏に感動し、1953年彼をモントリオールに招いて自ら主催するモントリオール・ジャズ・ワークショップで共演する。同年アメリカの永住権を獲得し、ベース奏者チャールズ・ミンガスに認められ、初リーダー作『イントロデューシング』をミンガスの設立したマイナー・レーベル「デビュー」に録音。1955年、西海岸に移動しトランペット奏者チェット・ベーカーのグループに加わる。このころ、作曲家志望のピアノ奏者カーラCarla Borg (Carla Bley)と知り合い、彼女から音楽的影響を受ける。1957年、西海岸でアルバム『ソレム・メディテーション』を吹き込むが、このアルバムで彼はカーラの曲を演奏している。同年2人は結婚し、カーラの影響もあって前衛的な傾向を強めたポールは、1958年フリー・ジャズの創始者といわれたアルト・サックス奏者オーネット・コールマンと共演し、アルバム『ザ・ファビュラス・ポール・ブレイ・クインテット』を録音する。1959年ニューヨークに戻り、実験的アレンジで知られるジョージ・ラッセルGeorge Russell(1923―2009)やミンガスらと共演。1964年先鋭的なミュージシャンたちによる連続演奏のイベント「ジャズの10月革命」に参加し、この運動から生まれた組織「ジャズ・コンポーザーズ・ギルド」に加わる。この組織は短期間で解散したが、ブレイは妻のカーラとトランペット奏者マイケル・マントラーMichael Mantler(1943― )が設立したミュージシャンの組織「ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラ・アソシエーション」(略称J. C. O. A.)に加わり、アルバム『コミュニケーション』(1965)に参加。このころカーラと離婚し、ベース奏者ゲーリー・ピーコックGary Peacock(1935―2020)の夫人であったアネット・ピーコックAnnette Peacock(1941― )と再婚、彼女の作曲した作品を取り上げるようになる。1969年、アネットとともにエレクトリック・ピアノ、シンセサイザーを演奏するグループ「ザ・ブレイ/ピーコック・シンセサイザー・ショー」を結成。1975年、自己のプロダクション「インプロビゼーション・アーチスツ・インク」(IAI)を設立。そのほかの代表作に『ブラッド』(1966)、『アローン・アゲイン』(1974)がある。彼のピアノ奏法は初期こそバド・パウエルの影響がみられたが、後に官能的美意識に満ちた独自の世界を構築していった。その過程において、カーラ、アネットといった才能溢れた女性作曲家たちが深く介在している。

[後藤雅洋]


ブレイ(Carla Bley)
ぶれい
Carla Bley
(1936―2023)

アメリカの作曲家、ピアノ、オルガン奏者。旧姓ボルグBorg。カリフォルニア州オークランドにドイツ系の血筋を引いて生まれる。教会でオルガンを演奏していた父親の影響で幼児期からピアノ、オルガンに親しみ、正規の音楽教育を受けず5歳で教会のオルガンを演奏。17歳でジャズを志し、ロサンゼルスに出る。1955年ころピアノ奏者のポール・ブレイと知り合い1957年に結婚、このころから作曲に手を染める。

 1964年、新時代のジャズを標榜(ひょうぼう)する先鋭的ミュージシャンたちによって決行された、4日間にわたる連続演奏イベント「ジャズの10月革命」に出演、この運動から生まれたミュージシャンの自主組織「ジャズ・コンポーザーズ・ギルド」に加わる。この組織はジャズを明確に文化活動としてとらえ、商業主義に対して厳格な姿勢を参加ミュージシャンに求めた。しかしギルドは短期間で崩壊し、1964年12月、カーラはこの組織に加わっていた作曲者、トランペット奏者のマイケル・マントラーMichael Mantler(1943― )と、新たにミュージシャンによる緩(ゆる)やかな結合組織「ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラ・アソシエーション」(J. C. O. A.)を結成。また、ポールと離婚しマントラーと再婚する。1965年ソプラノ・サックス奏者スティーブ・レイシーSteve Lacy(1934―2004)、マントラーらとクインテットを組んで演奏活動を行い、1966年オランダ、アムステルダムでアルバム『ジャズ・リアリティーズ』を吹き込む。このころから作曲家として頭角を現し始め、ビブラホーン奏者ゲーリー・バートンGary Burton(1943― )のアルバム『葬送』(1967~1968)、ベース奏者チャーリー・ヘイデンCharlie Haden(1937―2014)のアルバム『リベレーション・ミュージック・オーケストラ』(1969)に参加し曲を提供。

 1969年から大作『エスカレーター・オーバー・ザ・ヒル』Escalator Over the Hillに取り組み1971年に完成、J. C. O. A. レーベルから3枚組アルバムとして発表、話題をよぶ。この作品はカーラの作曲によるジャズ・オペラで、J. C. O. A. 所属のジャズ・ミュージシャンのほか、ロック歌手、女優も登場する壮大な規模で、内容もジャズ、ロック、フォーク・ミュージック、現代音楽をも包括する意欲的作品である。

 1973年フランスでジャズ大賞を受賞、自己レーベル「WATT」をつくる。1977年、自ら率いるバンドによるアルバム『ヨーロピアン・ツアー1977』European Tour 1977を録音。以後、中規模の編成による「カーラ・ブレイ・バンド」、マントラーと別れた後に結婚したベース奏者スティーブ・スワローSteve Swallow(1940― )とのデュオなど幅広い活動を行う。彼女の音楽は、黒人音楽家であるデューク・エリントン、チャールズ・ミンガスの影響を受けつつも、自らの感性によって彼らの優れた部分を再構成した知的かつオリジナルなもので、白人によるオーケストラル・ジャズの優れた成果を築きあげた。

[後藤雅洋]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

普及版 字通 「ブレイ」の読み・字形・画数・意味

麗】ぶれい

なまめかしく美しい。

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