コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

ベーカー Baker, George Pierce

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ベーカー
Baker, George Pierce

[生]1866.4.4. プロビデンス
[没]1935.1.6. ニューヘーブン
アメリカの演劇学者。ハーバード大学卒業後,同校にアメリカで最初の実践的な演劇講座を開設,劇作法を教えるとともに学生たちの作品を上演,E.オニール,S.C.ハワード,G.アボット,R.E.ジョーンズらのすぐれた劇作家,演出家,舞台美術家を世に送り出した。主著『劇作術』 Dramatic Technique (1919) など。

ベーカー
Baker, Harvey Humphrey

[生]1869.4.11. ブルックリン
[没]1915.4.10. ブルックリン
アメリカの法律家。 1894年ハーバード大学法学部修士。法律家となり,1906年ボストン少年裁判所設立とともに最初の判事として就任,以来同裁判所をアメリカの指導的少年裁判所に育てた。 17年4月設立された少年相談所ベーカー判事財団は彼の名前を取ったもの。

ベーカー
Baker, Josephine

[生]1906.6.3. セントルイス
[没]1975.4.12. パリ
アメリカ生れのフランスの歌手,舞踊家。スペイン人と黒人の両親のもとに生れる。8歳頃から踊りを始め,フィラデルフィアレビュー・グループに参加したのち,1923年ニューヨークのミュージック・ホールで黒人ミュージカルの主役ダンサーとして好評を得た。 25年パリに渡り,シャンゼリゼ劇場に出演,チャールストンを踊ってセンセーションを巻起した。 30年からカジノ・ド・パリの専属となり,「琥珀色の女王」と呼ばれ,映画にも出演。 37年フランス市民権を得て第2次世界大戦には赤十字に参加,その後フランス自由軍の中尉としてアフリカ,中近東の戦線で兵士の慰問をした。 50年から世界中の多くの孤児を養子にして,レ・ミランドと呼ぶ理想郷をフランス南西部に創設。 56年に舞台を引退したが,レ・ミランド維持のため,59年パリのオランピア劇場でカムバックし,成功した。

ベーカー
Baker, Ray Stannard

[生]1870.4.17. ミシガンランシング
[没]1946.7.12. マサチューセッツ,アマースト
アメリカのジャーナリスト。筆名 David Grayson。ミシガン大学を卒業後,1892年『シカゴ・レコード』紙の記者となり,その後『マクリュアーズ・マガジン』に関係,醜聞暴露の「マックレーカーズ」のグループに属して,1906年『アメリカン・マガジン』を創刊,編集長となった。 1907年より筆名でエッセーを出版。 1919年ウィルソン大統領からパリ講和会議の報道部長に任命され,国際連盟のために健筆をふるった。その後ウィルソンとその時代に関する権威として,『ウィルソン伝』 (8巻,1927~39) を著わし,ピュリッツァー賞を受賞。ほかに自伝的著作『アメリカ年代記』 American Chronicle (1945) など。

ベーカー
Baker, Sir Samuel White

[生]1821.6.8. ロンドン
[没]1893.12.30. デボン,サンドフォードオルレイ
イギリスの探検家。 1843~45年モーリシャス島に滞在,46~55年セイロン (現スリランカ) で農業に従事し,農園を開設。 56~60年近東旅行。 61年アフリカに行き,スーダンとアビシニア (現エチオピア) の国境の地域でナイル川の支流を探検。ホワイトナイル川をさかのぼり,64年3月アルバート湖を見出した。 65年帰国。翌年ナイト爵の称号を与えられる。 69年ナイル川赤道地域へ総督として軍事遠征を指揮,73年帰国。主著"Rifle and Hound in Ceylon" (1853) ,"Eight Years' Wanderings in Ceylon" (55) 。

ベーカー
Baker, Alan

[生]1939.8.19. ロンドン
イギリスの数学者。1961年ロンドン大学卒業後,1964年にケンブリッジ大学トリニティ・カレッジで博士号を取得。ユニバーシティ・カレッジを経て,1966年にトリニティ・カレッジ教授。1970年にフランスのニースで開催された国際数学者会議で,整数論に関する業績によりフィールズ賞を受賞した。ベーカーの業績により,多くの不定方程式で,その解をすべて求めることが理論的に可能になった。ディオファントスの方程式については,ノルウェーのアクセル・トゥエ,ドイツのカール・ルートウィヒ・ジーゲル,イギリスのクラウス・フリードリヒ・ロスなどによる先駆的な研究があったが,ベーカーは 2変数のディオファントス方程式について,解の絶対値を押さえるような方程式の次数係数のみによる有効な値が存在することを示した。この研究はベーカーによるゲルフォント=シュナイダーの定理(ダビット・ヒルベルトの第7問題)の一般化に関連している。ゲルフォント=シュナイダーの定理は,二つの代数的数α,βについて,ある条件のもとでαβ超越数であることを示すもので,ベーカーはこれを任意の個数の組の場合に一般化することに成功した。

ベーカー
Baker,James Addison,III

[生]1930.4.28. テキサス,ヒューストン
アメリカ合衆国の政治家。ブッシュ政権下の国務長官 (1989~92) 。プリンストン大学,テキサス州立大学ロースクール卒業。弁護士を経てブッシュとの親交を通じて政・官界入り。 1981~85年レーガン政権1期目の大統領首席補佐官,その後財務長官に転じ (1985~88) ,1988年の大統領選挙では選挙対策本部委員長としてブッシュ当選に貢献,国務長官に起用された。 1990年東西ドイツ再統一の際には,ソビエト連邦の合意を得られるよう助力し,同 1990年のイラクによるクウェート侵攻に端を発する湾岸戦争では,多国籍軍の形成に尽力した。 1992年国務長官を辞任,1993年まで大統領首席補佐官を務めた。かつてのジョン・F.ダレスとともに最も世界を飛び回った国務長官といわれ,特に中東和平問題に精力を傾けた。

ベーカー
Backer, Chet

[生]1929.12.23. オクラホマ,エール
[没]1988.5.13. アムステルダム
アメリカのジャズ・トランペッター,歌手。 1950~52年の兵役中,軍楽隊で演奏し,除隊後は駐屯地であったサンフランシスコで J.マリガンカルテットに参加,ウェストコースト・ジャズのトランペッターとして,また独特の中性的な歌声によって一躍知られるようになった。 53年自己のカルテットを結成し,人気スターとなる。 55年以降,ヨーロッパでも活躍。たび重なる麻薬常用問題などもあって 1960年代はほとんど活動を行わなかったが,73年に復帰,名声を取戻した。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について | 情報

百科事典マイペディアの解説

ベーカー

英国の数学者。数論における研究で,1970年フィールズ賞

ベーカー

米国のジャズ・トランペット奏者,歌手。クール・ジャズを代表するジャズ・ミュージシャンの一人で,1950年代に西海岸を中心に活躍した。1952年,ジェリー・マリガンGerry Mulligan〔1927-1996〕のカルテットに参加,一躍注目を浴びる。

ベーカー

米国の演劇学者。ハーバード大学卒。母校最初の劇文学教授として,E.G.オニールはじめ幾多の劇作家を育成,演劇革新運動に理論的根拠を与えた。主著《戯曲の技法》(1919年)など。

ベーカー

米国生れのフランスのポピュラー歌手,ダンサー。セント・ルイスでスペイン人の父と黒人の母の間に生まれた。1923年からニューヨークで黒人レビューに出演し,1925年パリに移住,一躍パリ・レビュー界の大スターとなった。
→関連項目フォリー・ベルジェール

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト百科事典マイペディアについて | 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

ベーカー Baker, Frayne

1891-1968 アメリカの軍人。
1891年8月26日生まれ。陸軍准将。戦後の昭和21-22年GHQ渉外局長をつとめる。第2次読売新聞争議への介入など新聞・出版関係労働組合活動の抑圧にかかわった。1968年8月3日死去。76歳。ノースダコタ州出身。アメリカの陸軍大卒。

出典|講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて | 情報 凡例

世界大百科事典 第2版の解説

ベーカー【George Pierce Baker】

1866‐1935
アメリカの演劇学者。1905年,母校ハーバード大学の劇文学担当初代教授となり,やがて講義番号にちなんで名づけられた〈47ワークショップ〉を創設して劇作術の探究に当たり,E.G.オニール,S.ハワード,G.アボットなどを育てた。25年イェール大学に移り,33年の引退まで同様の仕事を続けた。ベーカーは旧来のメロドラマとは異なる文学性の高い戯曲が一般化する基礎を築いた。【喜志 哲雄】

ベーカー【Harvey Humphrey Baker】

1869‐1915
アメリカの判事。アメリカの少年裁判所運動に寄与し,創設期のボストン少年裁判所の判事として活躍した(在職1906‐15)。少年事件の処理に科学的方法を採り入れ,高度のケース・ワークを発展させたことで知られる。没後,1917年にボストンに設立されたベーカー判事記念財団は,ボストン少年裁判所と連携を保ち,少年裁判所の科学化の促進に貢献した。【山口 厚】

ベーカー【Joséphine Baker】

1906‐75
フランスのシャンソン歌手。パリでは,ジョゼフィーヌ・バケルと呼ばれている。アメリカのミズーリ州セント・ルイスに生まれた。スペイン人の父と黒人の母との混血児。貧乏な中にも,踊ることを唯一の楽しみとして場末のミュージック・ホールなどに出ていたが,1925年パリに招かれて以来,踊りと歌で一躍有名となり,〈コハクの女王〉の名称を受けて,パリのレビュー界の大スターとなった。1954年には日本にも来て,好評を博した。

ベーカー【Oliver Edwin Baker】

1883‐1949
アメリカの農業地理学者。オハイオ州生れ。コロンビア大学などで政治学,哲学,社会学の修士号を取得後,イェール大学で林学を,さらにウィスコンシン大学の農学大学院で学び博士号を得た。1912年連邦農務省に入り,農業経済官となる。15‐38年,年鑑編集に携わり,32年にはアメリカ地理学会の会長となった。42年,地理学教室創設のため,メリーランド大学に教授として招かれた。ベーカーの業績には,まず農業地図の編纂がある。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

367日誕生日大事典の解説

ベーカー

生年月日:1869年4月11日
アメリカの法律家
1915年没

出典|日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について | 情報

世界大百科事典内のベーカーの言及

【レビュー】より

…フランスでは19世紀末にキャバレー,サーカス,カフェでの流行から,さらに大きな専用のミュージック・ホールで上演されるようになって,舞台装置や演出もスペクタクル性を高めた。20世紀に入ると,踊り子による群舞のエロティシズムやM.シュバリエJ.ベーカーらの歌手も人気を博して全盛期を迎えた。イギリスのレビューは1893年の《時計の下で》に始まり,1920年代から30年代にかけて,興行師シャルロAndré Charlot(1882‐1956)が製作したスペクタクル性の強いものと,興行師コクランCharles Blake Cochran(1873‐1951)が製作した風刺的で機知に富むものとを代表とする。…

【土地利用】より

…近年アメリカ合衆国では土地利用・土地被覆図(25万分の1,10万分の1)作成にリモートセンシング・データを利用している。土地利用調査のはじめとされるのは,アメリカのO.E.ベーカーが行った農業土地利用についての調査で,彼は《Atlas of American Agriculture》(1918‐36)を作成した。1933‐39年には,それより内容の広い画期的な土地利用調査がイギリスでL.D.スタンプにより行われ,約6万3000分の1の土地利用図が作成された。…

※「ベーカー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

ベーカーの関連キーワードベイカー(George Pierce Baker)ベイカー(Dame Janet Baker)ベイカー(Josephine Baker)サザビーズ・ホールディングズ[会社]ジェーコブ・スティーブン バーナーサミュエル・S. マクリュアアンドルー・N. ライトルベーカー(ノエルベーカー)スペンサー ウイリアムスシャーロック・ホームズシャーロック・ホームズベイカー‐ネイサン効果ロバート ゼーリックベーカーズフィールド特捜警部アイシャイドメニュー・アプローチブエノスアイレス湖バック オーエンズジャック ブルース債権の割引き買戻し

今日のキーワード

所信表明演説

政府の長が施政に関する考え方を明らかにするために行う演説。日本の国会では、臨時国会や特別国会の冒頭に内閣総理大臣が衆議院および参議院の本会議場で行い、当面の問題を中心にその国会における内閣の方針を示す...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android

ベーカーの関連情報