ドイツの工業化学者。ケルンの生れ。シャルロッテンブルク,ライプチヒの各大学に学び,1899年バーディシェ・アニリン・ソーダ会社(BASF(バスフ))に入社。1908年アンモニア合成についてのハーバー法が実験室的に成功するや,BASF社は直ちにF.ハーバーと共同研究の契約を結び,09年,ボッシュがハーバー法工業化研究の責任者となった。彼は多数の化学者や装置技術者を組織して,触媒と高温高圧の技術を開発し,アンモニアの接触合成法〈ハーバー=ボッシュ法〉を確立し,13年,オッパウの工場で年間3万6000tの硫安を生産することに成功した。この合成法は,第1次世界大戦中にはアンモニアの酸化により火薬用硝酸の製造に,さらに尿素肥料の製造に利用された。19年,ベルサイユ平和交渉ではドイツの技術代表をつとめた。その後25年にイーゲー・ファルベン社設立とともに社長になる。31年,高圧化学の研究と開発,とくにアンモニア合成の触媒に関する研究に対して,F.ベルギウスとともにノーベル化学賞を授与された。
執筆者:矢木 哲雄
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ドイツの工業化学者.冶金職人の修行を積んだ後,ベルリン工科大学で冶金学と機械学を学び,1898年ライプチヒ大学で有機化学の分野で学位を取得.こうしたユニークな背景が,のちに化学装置の研究に役立った.大学卒業後,BASF社に入社し,合成染料部門に勤務後,F. Haber(ハーバー)によるアンモニア合成の工業化研究を行い,二重筒構造の高圧反応装置を設計し,工業生産の成功に導いた.Haberとともに確立したアンモニア合成法はハーバー-ボッシュ法とよばれる.1919年IGファルベン社社長となり,1935年カイザー・ウィルヘルム協会の会長に選ばれた.高圧化学的方法の開発の業績に対して,1931年F.K.R. Bergius(ベルギウス)とともにノーベル化学賞を受賞した.
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
…ドイツの化学工業を支配していたこの六大会社は,利益共同体契約を結んで,1916年以降共同で各種製品を製造していた。IGは,カール・ボッシュの指導下に世界市場に発展を図り,第1次大戦によって失った市場をしだいに回復していった。薬品,染料,窒素肥料の分野で世界的に有名だったが,その後スタンダード・オイル社と提携し,水素添加法による人造石油のほか,チタン,合成ゴムなどの新製品を開発し,ヒトラーのナチ政府の自給政策を可能にする基盤を与えた。…
※「ボッシュ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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