I.G.法ともいう.アンモニア合成法の一つ.20世紀のはじめにH.W. Nernst(ネルンスト)やF. Haber(ハーバー)により,窒素と水素からのアンモニア合成反応の平衡論的研究が進み,Haberが工業化の基礎的実験に成功した.Haberの最初の特許(1908年)では,窒素と水素を100~200 atm,650~670 ℃ で,触媒を用いて反応させ,アンモニア生成率2%(体積)であった.生成アンモニアは水に吸収させ,それに相当する窒素と水素を補給混合し,繰り返し反応させる高圧ガス循環法によった.当時200 atm の高圧化学装置の例はなく,機械技師のC. Bosch(ボッシュ)(のちのドイツI.G.社社長)が協力して,はじめて高圧合成装置が完成した.ハーバー-ボッシュ式合成塔は耐圧管(普通鋼)と内部に狭い環状の間げきを保って同心筒状に配置した円筒(軟鉄)からなる.耐圧ジャケットの内側に冷ガスを流し,温度上昇を防ぎ,円筒の上半分は触媒層,下半分は多管式熱交換器である.混合ガスは上方から,ジャケットと触媒管との間の空間を上下し,予熱された混合ガスは伝熱器を経て触媒管に入り,NH3となる.熱アンモニアガスは熱交換器を経て塔の下から冷却器へ取り出される.触媒はFe3O4を主体としAl2O3とK2Oを助触媒とした溶融触媒で,300 atm,500~600 ℃ で用いられる.種々の改変法もすべてハーバー-ボッシュ法の原理を用いている.[別用語参照]アンモニア合成触媒
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…さらにイーゲー・ファルベン社において,K.ボッシュらが高圧装置を,ミタッシュA.Mittashらが触媒を,おのおの探究し,1910年代にアンモニア合成プロセスの完成をみた。これがハーバー=ボッシュ法Harber‐Bosch process(IG法)である。その後,合成工程内の各条件にそれぞれ特色をもたせたクロードClaude法,カザレーCasale法,ファウザーFauser法,ウーデUhde法,NEC法,東工試法の諸法が30年ごろまでに出そろった。…
…1908年アンモニア合成についてのハーバー法が実験室的に成功するや,BASF社は直ちにF.ハーバーと共同研究の契約を結び,09年,ボッシュがハーバー法工業化研究の責任者となった。彼は多数の化学者や装置技術者を組織して,触媒と高温高圧の技術を開発し,アンモニアの接触合成法〈ハーバー=ボッシュ法〉を確立し,13年,オッパウの工場で年間3万6000tの硫安を生産することに成功した。この合成法は,第1次世界大戦中にはアンモニアの酸化により火薬用硝酸の製造に,さらに尿素肥料の製造に利用された。…
…この後に登用される幕閣が,田沼政権に連なっていくところから,郡上一揆は幕政転換の契機となったとされている。また,この一揆を講談化して口演した馬場文耕が幕政を批判したとして獄門に処せられ,その講談本《平かな森の雫》が発禁とされたことも,幕府の思想統制の強化のはじまりをしめすものとして注目されている。【松田 之利】。…
…宝暦・明和(1751‐72)のころに,男根形の棒を手に,僧侶・女性を痛罵する講釈で異彩を放ったのは深井志道軒(1682‐1765)で,彼のことは平賀源内の《風流志道軒伝》に記されている。馬場文耕は講釈場(略して釈場(しやくば)という)の整備につとめたが幕政批判が注目され,1758年(宝暦8)9月に金森騒動を扱った《珍説森の雫(しずく)》を読んで処刑された。 天明(1781‐89)のころから講釈は一段と栄え,仇討物,博徒物,心中物,俠客(きようかく)物,白浪物など読み物がふえていった。…
※「ハーバーボッシュ法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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