ボナパルト(英語表記)Joseph Bonaparte

改訂新版 世界大百科事典 「ボナパルト」の意味・わかりやすい解説

ボナパルト
Joseph Bonaparte
生没年:1768-1844

ナポリ王(在位1806-08),スペイン王(ホセ1世José Ⅰ。在位1808-13)。コルシカ生れ。カルロ・ボナパルトの長男。ピサ大学で法律を学び,弁護士となる。弟ナポレオン台頭とともに1797年パルマ,ローマ駐在公使,翌年五百人会議員となり,リュネビル,アミアン両条約を締結(1801-02)。ナポレオンの皇帝即位後,ナポリ,スペイン国王に即位。修道院財産の没収など封建的特権の廃止を布告したが,民衆の抵抗運動によりフランス退去(1813)。その後百日天下の政府首席(1815)となったが,帝国崩壊後,アメリカイギリスイタリア亡命,フィレンツェで没。
スペイン独立戦争
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ボナパルト
Marie Bonaparte
生没年:1882-1962

フランスの精神分析学者。ナポレオン・ボナパルトの弟リュシアンの曾孫で,ギリシア王の弟ゲオルギオス公の妻。1925年S.フロイトの分析を受け,翌年フランス精神分析学会設立に加わる。フロイトの著作のフランス語訳のほか,E.A.ポーの精神分析的研究,女性の性の研究などがおもな業績である。またオーストラリアでのローハイムの文化人類学的研究,学会や学会誌の発行,フロイトの亡命などのために莫大な資金援助をした。
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百科事典マイペディア 「ボナパルト」の意味・わかりやすい解説

ボナパルト

ナポレオン1世の弟。イタリア・エジプト両遠征に参加。オランダ国王(在位1806年―1810年)となったが大陸封鎖勅令を守らず兄と対立して退位。皇后ジョゼフィーヌの娘オルタンスと結婚ナポレオン3世はその子。

ボナパルト[家]【ボナパルト】

ナポレオン1世を生んだ家系。代々聖職者や役人を出す。16世紀コルシカ島に定住。ナポレオン1世の父は島の名士でコルシカ独立運動に参加した。一家はフランス革命勃発とともにフランスへ亡命,ナポレオン1世はフランス皇帝となり兄弟を諸国の王位につけた。ナポレオン1世の甥(おい)がナポレオン3世。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ボナパルト」の解説

ボナパルト
Joseph Bonaparte

1768〜1844
ナポレオン1世の兄
ナポレオンの皇帝即位後,ナポリ王(在位1806〜08)・スペイン王(在位1808〜13)となったが,ウェリントンの進撃を受けて脱出し,ナポレオン没落後はアメリカ・イギリスなどで余生を送った。

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世界大百科事典(旧版)内のボナパルトの言及

【ナポリ王国】より

…99年の末ナポレオンはイタリアの再征服を開始し,マレンゴの戦でオーストリア軍に勝利してその支配を確実にした。フェルディナンド4世は再びシチリアへ亡命し(1806),ナポリ王国はジョセフ・ボナパルト(1806‐08),続いてミュラGioacchino Muratが支配した(1808‐14)。この〈フランス支配時代〉にフランス革命の主要な成果である,封建制の廃棄,教会財産の売却,行政・司法・財政組織の改革などがナポリ王国でも行われた。…

※「ボナパルト」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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