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ボナパルト Bonaparte, Jérôme

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ボナパルト
Bonaparte, Jérôme

[生]1784.11.15. コルシカアジャクシオ
[没]1860.6.24. ビルジュニ
フランスの軍人,元帥。ウェストファリア王 (在位 1807~14) 。ナポレオン1世の末弟。 1800年以降執政政府衛兵をつとめ,海軍に転属されたのち,アメリカへ渡り,E.パターソンと結婚した。地中海で小艦隊を指揮,次いで 06年の戦役に従軍。帝国令で結婚無効が宣告され,ナポレオンの命でウュルテンベルクの公女カタリーナと結婚,07年ウェストファリア王に叙せられた。ナポレオン没落後帰国。甥ナポレオン3世が即位すると廃兵院総裁,元老院議長などを歴任した。

ボナパルト
Bonaparte, Joseph

[生]1768.1.7. コルシカ,コルト
[没]1844.7.28. フィレンツェ
フランスの軍人,外交官。ナポリ王 (在位 1806~08) ,スペイン王 (在位 08~13) 。ナポレオン1世の兄,1795年イタリア遠征中のナポレオンに従い,97年総裁政府下でパルマ,ローマへの公使,同年末五百人会議員。 1800年アメリカと協約を結び,翌年オーストリアとのリュネビル和約交渉を主宰,アミアン条約作成にも参画した。皇帝の兄として帝位継承権を求めて兄弟が対立し,ロンバルディ王位の提供も辞退した。 06年ナポリへ派遣され,その王となったが,ナポレオンの不満がつのり,08年スペイン王に転じたが,13年民衆の一揆で追放された。 13年以降は重職は果さず,ナポレオン没落後はアメリカへ渡り,ナポレオンの息子の帝位復帰を訴えた。

ボナパルト
Bonaparte, Louis

[生]1778.9.2. コルシカ,アジャクシオ
[没]1846.7.25. リボルノ
フランスの軍人。オランダ王 (在位 1806~10) 。ナポレオン1世の弟,ナポレオン3世の父。士官学校卒業後,1796~97年のイタリア遠征に従軍,98~99年のエジプト遠征ではナポレオンの副官。ナポレオンの強制でジョゼフィーヌの娘オルタンス・ド・ボーアルネと結婚したが失敗,離婚を許さない兄に反発した。 1804年将軍,翌年パリ知事,06年オランダ王となったが,ナポレオンから臣下に甘すぎると非難され,10年兄の軍隊がオランダの首都を占領したので退位して国外に逃れ,ボヘミア,オーストリア,スイス,イタリアに移って文筆に親しんだ。

ボナパルト
Bonaparte, Lucien

[生]1775.5.21. コルシカ,アジャクシオ
[没]1840.6.29. ビテルボ
フランスの政治家。ナポレオン1世の次弟。ジャコバン・クラブに属して南フランスで活躍。ナポレオンの斡旋でドイツでフランス軍士官となったが,なじまずコルシカに戻り,1798年五百人会議員となり,99年にはその議長として兄の第1執政就任に尽力。しかし兄の野心が民主制を危うくすると信じ,両者の関係は緊張した。いくつかの地位についたが兄の不興を買い,最後にその意志に抗してひそかに結婚したため関係は破綻した。 1807年この結婚破棄を条件にフランス王族の地位をナポレオンから提供されたが拒絶。イギリスで軟禁されたあと,14年ローマに移った。「百日天下」では兄を支持,最後まで兄の特権を擁護した。晩年はイタリアで過した。

ボナパルト
Bonaparte, Napoléon-Joseph-Charles-Paul

[生]1822.9.9. トリエステ
[没]1891.3.17. ローマ
ナポレオン公。ナポレオン1世の末弟ジェローム・ボナパルトの子。第二帝政を実現した 1851年のクーデターに反対したが,ナポレオン3世が男子を残さず死去した場合の後継者とされ,宮廷では自由派の代表と目された。 55年パリ万国博覧会総裁,58年国務相,59年サルジニアの王女と結婚。イタリア解放戦争ではフランス軍を指揮してトスカナを占領,帝政崩壊後引退したが,79年ナポレオン3世の息子の死で宗主となった。

ボナパルト
Bonaparte, Pierre-Napoléon

[生]1815.10.11. ローマ
[没]1881.4.7. ベルサイユ
フランスの政治家。ナポレオン3世従弟にあたり,熱烈な自由主義者。 1848年の革命の際,憲法議会の極左派の代議士。 51年 12月2日ナポレオン3世のクーデターに反対し,政界を去った。 70年1月 10日 V.ノアールピストルで射殺しイギリスに亡命。その後ひそかに帰国。

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百科事典マイペディアの解説

ボナパルト

ナポレオン1世の弟。イタリア・エジプト両遠征に参加。オランダ国王(在位1806年―1810年)となったが大陸封鎖勅令を守らず兄と対立して退位。皇后ジョゼフィーヌの娘オルタンスと結婚。

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世界大百科事典 第2版の解説

ボナパルト【Joseph Bonaparte】

1768‐1844
ナポリ王(在位1806‐08),スペイン王(ホセ1世José I。在位1808‐13)。コルシカ生れ。カルロ・ボナパルトの長男。ピサ大学で法律を学び,弁護士となる。弟ナポレオンの台頭とともに1797年パルマ,ローマ駐在公使,翌年五百人会議員となり,リュネビル,アミアン両条約を締結(1801‐02)。ナポレオンの皇帝即位後,ナポリ,スペイン国王に即位。修道院財産の没収など封建的特権の廃止を布告したが,民衆の抵抗運動によりフランスへ退去(1813)。

ボナパルト【Marie Bonaparte】

1882‐1962
フランスの精神分析学者。ナポレオン・ボナパルトの弟リュシアンの曾孫で,ギリシア王の弟ゲオルギオス公の妻。1925年S.フロイトの分析を受け,翌年フランス精神分析学会の設立に加わる。フロイトの著作のフランス語訳のほか,E.A.ポーの精神分析的研究,女性の性の研究などがおもな業績である。またオーストラリアでのローハイムの文化人類学的研究,学会や学会誌の発行,フロイトの亡命などのために莫大な資金援助をした。

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世界大百科事典内のボナパルトの言及

【ナポリ王国】より

…99年の末ナポレオンはイタリアの再征服を開始し,マレンゴの戦でオーストリア軍に勝利してその支配を確実にした。フェルディナンド4世は再びシチリアへ亡命し(1806),ナポリ王国はジョセフ・ボナパルト(1806‐08),続いてミュラGioacchino Muratが支配した(1808‐14)。この〈フランス支配時代〉にフランス革命の主要な成果である,封建制の廃棄,教会財産の売却,行政・司法・財政組織の改革などがナポリ王国でも行われた。…

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