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マグナ・カルタ Magna Carta[ラテン]

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世界大百科事典 第2版の解説

マグナ・カルタ【Magna Carta[ラテン]】

イギリスで1215年6月15日付で発布された63ヵ条の法で,その後たびたび再発行および確認されている。イギリス憲法の一部とされ,しばしば〈大憲章〉と訳される。マグナ・カルタを論ずる際には,それが1215年の発布当時に有していた意義と,それ以後今日まで立憲政治の上で果たしてきた意義とを明確に区別する要がある。 マグナ・カルタは直接的には当時のイギリス国王ジョンの失政をきっかけにして発布された。すなわち,ジョンは父王,兄王から継承したフランス内の領土をフランス王に奪われ,一方では戦費調達のため財政改革をし,苛斂誅求(かれんちゆうきゆう)を行った。

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All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

世界大百科事典内のマグナ・カルタの言及

【イギリス】より

…また諸種の改革を行って封建諸侯や教会勢力を抑え,王権の強大化に努めた。しかしこのことは貴族の反発を招き,彼らはジョン王(欠地王)の失政に反抗して,1215年その要求を〈マグナ・カルタ〉として王に認めさせた。つづくヘンリー3世時代にもシモン・ド・モンフォールを中心に結束して国王を破り,従来の聖職者・貴族の集会に州騎士および都市の代表を加えて国政を議した(1265)。…

【基本的人権】より


【基本的人権の成立と発展】
 基本的人権の観念は中世ヨーロッパに芽生える。1215年に成立したイギリスのマグナ・カルタは,国王が封建貴族たちの諸要求を承認した契約文書であり,個人の権利・自由を宣言するものではなかったが,後世における解釈と再確認をとおして,その内容上の制約を超えて発展し,権利保護のシンボルとしての意味をもつようになる。17世紀に至り,国民の権利と自由を保障する権利請願(1628),人身保護法(1679),権利章典(1689)が成文法として登場するが,それらは天賦の人権を宣言するのではなく,祖先から継承したイギリス人の権利を確認するものであった。…

【プランタジネット朝】より

…この国制の展開は,しばしば大陸の所領回復を企てて費用調達を迫る国王とこれに反対して改革を唱える諸侯との対立と妥協を契機としている。〈マグナ・カルタ(大憲章)〉〈オックスフォード条項〉などの国王による認可がそれである。 またこの時代はローマ教皇権が強力となり,集権的統治をすすめる国王と対立した。…

※「マグナ・カルタ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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