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マタイ受難曲 マタイじゅなんきょくSt. Matthew Passion

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

マタイ受難曲
マタイじゅなんきょく
St. Matthew Passion

マタイによる福音書』に基づいたイエス・キリスト受難主題とした楽曲。最も有名なものは J.S.バッハの作品 BWV244 (1729) 。ほかに J.ワルター (1550頃) ,H.シュッツ (1666) の作品や現代の E.ペピングのものなどが知られる。

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デジタル大辞泉の解説

マタイじゅなんきょく【マタイ受難曲】

《原題、〈ドイツ〉Matthäuspassion》「マタイによる福音書」のキリスト受難物語に基づく音楽作品。特に、1728年から1729年にかけてバッハが作曲したもの。バッハ没後は長らく忘れられていたが、1829年にメンデルスゾーンが復活上演したことで再評価。

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百科事典マイペディアの解説

マタイ受難曲【マタイじゅなんきょく】

キリストの受難を《マタイによる福音書》(マタイ)によって描いた音楽。ふつうオラトリオの様式のもの。H.シュッツの作品(1666年)とJ.S.バッハの作品が有名。
→関連項目キリスト教音楽ノイマイヤーリヒター

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デジタル大辞泉プラスの解説

マタイ受難曲

アメリカの舞踊家・振付家ジョン・ノイマイヤーによるバレエ(1981)。原題《Matthäus-Passion》。初演はハンブルク・バレエ団。J・S・バッハのマタイ受難曲の全曲に振付をし、ノイマイヤー自身がイエス・キリスト役を演じることが多かった。彼の代表作の一つとして知られる。

マタイ受難曲

ドイツの作曲家ハインリヒ・シュッツの受難曲(1666)。原題《Matthäuspassion》。新約聖書の『マタイによる福音書』に基づいてイエスの受難を描いたもの。

マタイ受難曲

ドイツの作曲家J・S・バッハの受難曲(1728-29)。原題《St. Matthew Passion》。新約聖書の『マタイによる福音書』に基づいてイエスの受難を描いたもの。バッハの没後、しばらく忘れられていたが、1829年にメンデルスゾーンが復活上演したことにより再評価されたという経緯を持つ。

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世界大百科事典 第2版の解説

マタイじゅなんきょく【マタイ受難曲 Matthäus‐Passion】

マタイによる福音書》によるキリスト受難の物語を題材とする音楽。とくにJ.S.バッハの作品(BWV244)が有名で,プロテスタント教会音楽の最高峰に数えられる。《マタイによる福音書》26~27章を中心にして,ルター派の賛美歌(コラール)と抒情的な宗教詩を配したピカンダーPicander(本名Christian Friedrich Henrici,1700‐64)の台本によって作曲され,1729年4月15日(一説では1727年4月11日)の聖金曜日にライプチヒのトーマス教会で初演された。

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大辞林 第三版の解説

マタイじゅなんきょく【マタイ受難曲】

マタイ福音書によるキリストの受難を主題とした宗教音楽。最も有名なものは大バッハのもので、二部七八曲から成る。1729年ライプチヒで初演され、バッハの宗教音楽の頂点を示す作品。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

マタイ受難曲
またいじゅなんきょく
Matthuspassionドイツ語

『新約聖書』のうち「マタイ伝福音書(ふくいんしょ)」のイエス・キリストの受難物語によった、声楽と管弦楽のための音楽作品。数多くの傑作が残されているが、カトリックではラッスス、ビクトリア、プロテスタントではシュッツ、J・S・バッハらの作品が名高い。とりわけバッハの『マタイ受難曲』(2部78曲)は、『ヨハネ受難曲』(1723初演)とともに、彼の宗教音楽の頂点を示した作品として重要である。作曲されたのはバッハのライプツィヒ時代(1723年以降)と推定され、1729年の聖金曜日(4月15日)の演奏が確認されている。歌詞は「マタイ伝」第26、第27章にヘンリーチ(筆名ピカンダー)の自由詩を加えたもので、かなり多くの自作カンタータから音楽的転用がみられながら、全体の構成の緊密さ、スケールの巨大さには驚くべきものがある。初演後100年目の1829年、メンデルスゾーンが復活演奏して、19世紀におけるバッハ復活の端緒となったことでも重要な作品。[三宅幸夫]

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世界大百科事典内のマタイ受難曲の言及

【受難曲】より

…しかしオラトリオ風受難曲では,聖書の記述の中にアリアを挿入するために新たに作詞された宗教的抒情詩が付け加えられ,またドイツ福音主義教会の場合には,それに加えて会衆の賛美の歌であるコラールが要所要所に混入されるようになった。フロールChristian Flor(1626‐97)の《マタイ受難曲》(1667),タイレJohann Theile(1646‐1724)の《マタイ受難曲》(1673)はその初期の例である。聖書の叙述の侵し難い客観性の中に,このように受難のドラマを見つめる信仰者の主観的心情の吐露をまじえる行き方は,受難曲を聴き手に近づけ,理解しやすいものにすると同時に,本来の典礼的・聖書的性格を危うくする傾向をはらんでいた。…

【バッハ】より

…ドイツの作曲家。〈ミラノのバッハ〉〈ロンドンのバッハ〉と呼ばれる。J.S.バッハと2度目の妻アンナ・マクダレーナの末子としてライプチヒで生まれた。15歳で父を失い,ベルリンで兄エマヌエル(C.P.E.バッハ)から教育を受けた。1754年からイタリアに住み,ボローニャでG.B.マルティーニ神父に師事したのち,カトリックに改宗してミラノで教会音楽の作曲家や大聖堂オルガン奏者として活躍。やがてオペラの作曲家としても名声を確立し,62年からロンドンに定住して次々にオペラを上演,王室や貴族の音楽教師としても絶大な人気を博した。…

【メンデルスゾーン】より

…27年C.W.L.ハイゼによる家庭での教育を終えてベルリン大学に学び,とくにヘーゲルの美学講義に興味をもった。29年ベルリン・ジングアカデミーを指揮してバッハの《マタイ受難曲》を再演し,バッハ・ルネサンスの開幕を印した。同年イギリス旅行,次の年にはイタリア旅行を企て,これまでベルリンに限られていた活動舞台を世界に広げた。…

※「マタイ受難曲」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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