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マドゥライ Madurai

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

マドゥライ
Madurai

別称マドゥラ Madura。インド南部,タミルナードゥ州南部の都市。マドゥライ県の行政庁所在地。カルダモン丘陵の東麓に位置し,バイガイ川にのぞむ。古代から南インドの主要都市で,ドラビダ文化の中心地。前5世紀から 11世紀まではパーンディヤ王国の首都で,2~3世紀には東西交易でにぎわう南インドの諸港を支配するとともに,サンガム (タミル文学のアカデミー) の所在地として,繁栄と高い文化を誇った。 1310年ハルジー朝の軍に席捲されてのちは,短命な王朝が続いたが,16世紀中期にナーヤク朝の支配下に入ってからは,多数のヒンドゥー寺院が建てられた。特にシバ神をまつる大寺院の一部であるミーナクシー寺 (17世紀) は,「千本柱広間」を含み,インドでも最大の規模をもつとともに,後期ドラビダ様式の典型として知られる。豊かな綿作地帯に位置し,綿紡績,綿織物業が盛ん。カルダモン丘陵で産する香辛料,茶,コーヒーなどの集散,加工も行われる。人口 95万 1696 (1991) 。

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デジタル大辞泉の解説

マドゥライ(Madurai)

インド南部、タミルナドゥ州の都市。タミルナドゥ平原を流れるバイハイ川沿いに位置する。紀元前5世紀から後14世紀にかけて、長らくパーンディヤ王国の都として栄えた。また16世紀から18世紀にかけてナヤク王国の都となり、ミナクシ寺院ティルマライナーヤカ宮殿が造られた。現在は織物工業が盛んで、米、タバコなどの農産物の集散地となっている。マドゥラ。

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百科事典マイペディアの解説

マドゥライ

インドのデカン半島南部,タミル・ナードゥ州南部の都市。マドゥラとも。バイガイ川河岸の交通の要地モスリン,綿・絹織物,木彫,真鍮細工を特産。前3―後11世紀古パーンディヤ王朝の主都,1550年―1739年ナーヤカ王朝の主都。

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世界大百科事典 第2版の解説

マドゥライ【Madurai】

インド南部,タミル・ナードゥ州南部の都市。人口90万4362(1981)。現在はおもに綿織物業が行われるが,かつてはパーンディヤ朝の首都として,またナーヤカの勢力の中心都市として栄え,シバとその神妃のミーナークシーとをまつったミーナークシー・スンダレーシュバラ寺Mīnākṣī‐Sundareśvara(17世紀)で知られている。同寺はナーヤカの勢力がタミル地方に造営した多数のヒンドゥー教寺院の中でも最も著名で,インド南型建築の最末期の代表作例。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

マドゥライ
まどぅらい
Madurai

インド南部、タミル・ナド州南部の都市。マドゥラMaduraともいう。タミル・ナド平原の標高149メートルに位置し、年平均気温29℃、年降水量894ミリメートルの乾燥した熱帯サバンナ気候の地である。人口92万2913、周辺部を含む人口119万4665(2001)。紀元前5世紀~紀元後14世紀に栄えたパーンディヤ王国および16~18世紀のナヤク王国の都で、17世紀にティルマーラ・ナヤクが建設したヒンドゥー教のミナクシ寺院で知られる。ミナクシ寺院は東西258メートル、南北222メートルの広さをもつ南インド様式の石造大寺院で、九つの大塔門(コープラム)をもつ。とくに東西南北にある大塔門は高さが46メートルあり、極彩色の彫像が外壁を埋める。産業は絹やモスリンの染色・織物工業が全国的に有名で、周辺で産出する米、タバコなど農産物の集散地であり、農産物加工業も立地する。国道7号線、49号線が通り、鉄道の結節点であり、東方のラメスワラムや南方のコモリン岬に通じる。[成瀬敏郎]

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