マラ

百科事典マイペディアの解説

マラ

フィジーの政治家。高位の先住フィジー人首長の出自で,独立移行時には憲法制定などフィジーの国づくりに貢献。1970年の独立後は長く首相と外相を兼任。南太平洋フォーラムの設立にも尽力した。数次の政変の中でもフィジー政界の中心にあり,1994年の共和制移行により大統領に就任。2000年のクーデタで引退。

マラ

フランス革命指導者。スイス出身。初めは医師。1789年《人民の友》紙を発行してパリ民衆の革命的民主主義擁護国民議会上層ブルジョアや立法議会ジロンド派を攻撃。サン・キュロットに大きな指導力をもった。国民公会議員となり山岳派による恐怖政治の中心人物だったが,山岳派の独裁成立後シャルロット・コルデーにより入浴中に刺殺

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世界大百科事典 第2版の解説

マラ【Jean‐Paul Marat】

1743‐93
フランス革命期の政治家。スイスの中流市民の家に生まれ,フランスのボルドーとパリで医学を修め,22歳ころイギリスに渡って,医者を開業するとともに文筆に親しみ,専制政治や宮廷の腐敗を批判した《奴隷の鎖》(1774)を英語で出版した。1777年にフランスに戻ったマラは,パリでアルトア伯の侍医などをしながら,自然科学の論文や刑罰制度の改革を論じた著作などを発表した。フランス革命が始まると,89年の秋から《人民の友L’Ami du Peuple》という新聞を刊行して宮廷や政府を攻撃し,早くから共和主義の論陣を張り,その論調の鋭さで民衆の人気を得て〈人民の友〉とあだ名された。

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世界大百科事典内のマラの言及

【コルデー】より

…フランス革命期にJ.P.マラを暗殺した女性。コルネイユの子孫としてノルマンディーに生まれ,はじめはフランス革命に同感していたが,1793年に,国王の処刑とジロンド派の追放によって革命の進行に疑念を抱き,ジロンド派に同情して,恐怖政治の指導者マラの殺害を志した。…

※「マラ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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