フランスの小説家、思想家。11月3日パリに生まれる。前衛芸術の雰囲気に触れて育ち、アポリネールの影響の色濃い、想像力により現実とは異質な美の世界を造型した幻想的散文『紙の月』(1921)によって文壇にデビューした。しかし1923年訪れたインドシナでクメール遺跡盗掘により投獄されたころから、別のマルローが顕現する。1926年の『西欧の誘惑』は、いまや西欧社会は凋落(ちょうらく)し神も人間も死んだという、大戦という大殺戮(さつりく)に立ち会った世代の悲劇的状況の認識を表明したものだが、それに続く、それぞれ中国革命とインドシナの遺跡探検に題材を得た小説『征服者』(1928)と『王道』(1930)は、人生の不条理を熟知したうえで行動に賭(か)けることによって悲劇的状況を脱出しようという、新しい時代の生き方を暗示するものにほかならなかった。とはいえ1933年の『人間の条件』は、行動によって死に抵抗する知識人の群像を描きながら、そこに人間の普遍的価値への信仰を導入することによって、さらに新しいマルローの変貌(へんぼう)を示唆する。それはむろん、1930年代の危機的現実のなかで、彼が1932年以後反ファシズムの闘士として活躍し始めることと無縁ではなかった。以後1939年の独ソ不可侵条約によってコミュニスムと決別するまで、彼は政治参画する西欧知識人の先頭にたち続ける。その間『侮蔑(ぶべつ)の時代』(1935)、『希望』(1937)などの作品により、普遍的価値を擁護する自らの行動を意識化するとともに、現実と拮抗(きっこう)する独自の全体小説をつくりだすのである。
第二次世界大戦に従軍、捕虜となり収容所を脱出したあと、最後の小説『アルテンブルグのくるみの木』(1943)を書き、人間の普遍的価値に支えられた神話的時代への幻滅から、時代を超えて生き続ける原初的なものの発見に至る道程を跡づける。そして1944年レジスタンスに参加、マキ団の指導者として終戦を迎える。戦後のマルローの歩みはドゴールのそれと切り離すことはできない。1945年にドゴール政権の情報相(~1946)に迎えられ、1958~1969年の間ドゴール時代に新設された文化相の椅子(いす)を守り続ける。だが国家として芸術を保護し育成した文化相としてのその輝かしい業績は、『沈黙の声』(1951。邦訳名『東西美術論』)、『神々の変貌』(1957)といった戦後のユニークな芸術論とともに、『アルテンブルグのくるみの木』の予告した、原初的なものの認識に基づく、人間を人間たらしめるものとしての新しい文化の概念に深くかかわっていることを見落としてはならない。小説家マルローは文化の演出家に変貌を遂げ、1976年11月23日パリ郊外クレテーユで生涯を閉じた。その死は国葬をもって弔われた。ほかに作品として独特な自伝『反回想録』(1967)を逸することはできない。
[渡辺一民]
『小松清・松浪信三郎訳『西欧の誘惑』(『世界の大思想Ⅱ 14』所収・1968・河出書房新社)』▽『渡辺一民著『マルローの変貌』(『神話への反抗』所収・1968・思潮社)』▽『小松清訳『征服者』(新潮文庫)』▽『新庄嘉章他訳『新潮世界文学45 マルロー』(1970・新潮社)』▽『村松剛著『評伝アンドレ・マルロオ』(1972・新潮社)』▽『竹本忠雄訳『反回想録』全2巻(1977・新潮社)』
フランスの作家。パリに生まれる。若くして前衛的な詩人,作家と交わったが,1923年フランス領インドシナでクメール王朝の遺跡を探検して盗掘の嫌疑を受け,またジャーナリストとして同地の民族運動を支援した。帰国と同時に,往復書簡体の東西文化論《西欧の誘惑》(1926)を刊行。さらに中国の広州コミューンをルポ風に描いた《征服者》(1928),密林の中の遺跡をめぐる冒険小説《王道》(1930)を発表して文名を高めた。ゴンクール賞受賞作《人間の条件La condition humaine》(1933)では,中国国民党が突如中国共産党弾圧の挙に出た1927年の上海クーデタを,映画的手法を駆使して活写し,いっそう共産主義に近い姿勢を示した。しかし,彼の主人公たちは概して,イデオロギーを信じない虚無的冒険家で,われわれを内部からむしばむ死という不条理に抗して,危険な行動に人間の尊厳を賭け,革命の教義を疑いながら革命の遂行に挺身する種類の英雄である。マルロー自身,党員であったことはないが,30年代には反ファシズム運動に積極的に参加した。《侮蔑の時代》(1935)はこの時期の小説であるが,あまりの党派性ゆえに,後年彼自身否認した。36年スペイン内乱が勃発するやマドリードに飛び,共和政府軍に志願して,国際義勇軍飛行隊を指揮し,かたわら叙事詩的な人民戦線賛歌ともいうべき長編《希望》(1937)を書いた。彼自身メガホンをとり,その一部を《テルエルの戦》(1939)と題して映画化した。
第2次世界大戦には戦車隊員として参戦。負傷して捕虜となったが脱走し,地下運動に身を投じたが再度ドイツ軍に捕らえられる。しかし救出され,アルザス・ロレーヌ旅団長となって,祖国の解放のために戦った。この間,観念的色彩の濃い難解な長編《天使との闘い》を書くが,ゲシュタポに没収され,第1巻《アルテンブルクのクルミの木》(1943)だけが出版された。また,ロレーヌ戦線でド・ゴール将軍に会って意気投合し,以後,反共産主義の立場に移行するとともに,将軍の側近政治家となる。45年情報相として入閣し,59年からは文化相としても10年間,意欲的な文化政策を推進した。同時に,青年時代からの造形芸術への関心を深め,《芸術の心理学》3巻(1947-49),《ゴヤ論》(1949),前者を補筆して1巻に収めた《沈黙の声》(1951),《神々の変貌》(1957)などの美術論を発表するとともに,《世界の彫刻の美術館》《人類の美術》といった大がかりな叢書を監修する。芸術を〈反運命〉と定義するマルローは,複製写真術が可能にした,実在のいかなる美術館よりも壮大な〈空想美術館〉が,古今東西の美術品のジャンルを超えた対比によって芸術という観念を発生させたと考え,また美術史や画家論の枠にとらわれない飛躍に富んだ幻惑的な文体で,不条理と戦う人間の果敢な営みを跡付けてみせた。豊富な体験の回想とフィクションをないまぜにした自伝《反回想録》(1967)は,彼の人間学の集大成といえよう。
執筆者:平岡 篤頼
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1901~76
フランスの作家。中国革命,スペイン内戦,レジスタンス運動に参加し,多数の小説を書く。『王道』『人間の条件』が有名。第二次世界大戦後はフランス人民連合(ド・ゴール派)に加わり,第五共和政下では文化相を務めた。
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…サイレントからトーキーへ移る混乱期が終わるころ(1933‐34)に《映画の文法》を書き,完全な映画は視覚的要素と音響要素から構成されると定義したイギリスのR.スポティスウッドは,〈映画芸術はまだ確立されていない〉といい,演出された映画は演劇の延長にすぎず,芸術として劣るものであると断言している。それとまったく同じ理由から,フランスの作家A.マルローは逆に〈映像と音を組み合わせた表現の可能性〉からこそ新しい芸術が生まれた,とその著《映画心理学の素描》(1941)で書いた。
[映画そのものの探究へ]
こうして,映画の芸術性についての論議は結着をみないまま時代を経て続けられた。…
…(3)スペインの進路は,宿命的にヨーロッパの掌中に握られていた。(4)内乱像は,外国の諸新聞や世界的に著名な作家(ヘミングウェー,マルローら)の手によって固定化した。これらは一様にスペイン文化を評価し,さらに共和国陣営からの見聞であった。…
…日独伊三国軍事同盟締結と大政翼賛会,大日本産業報国会の結成は,40年のことであったが,このときにはすでに反ファシズムの組織と言論は皆無に近かった。【鈴木 正節】
【国際的な反ファシズム文化運動】
国際的な反ファシズム文化運動の先駆としては,反戦を掲げてロマン・ロランとバルビュスが呼びかけ,ゴーリキー,アインシュタイン,ドライサー,ドス・パソスらが発起人に名を連ねる,1932年8月アムステルダムの国際反戦大会に29ヵ国2200名を集め,翌年パリで第2回大会を開催した〈アムステルダム・プレイエル運動〉,フランスの急進社会党代議士ベルジュリが主唱し,J.R.ブロック,ビルドラックらの協力した33年5月結成の〈反ファシズム共同戦線〉,ジッド,マルローらによる〈革命作家芸術家協会〉の33年における反ファシズム運動などがあげられる。しかし,それが政治的立場を超えた知識人の統一運動として定着するのは,34年の2月6日事件をまたなければならない。…
※「マルロー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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